創建は奈良時代(770年)光仁天皇(こうじんてんのう)の勅命(ちょくめい)によって創建。室町末期に織田信長に焼き討ちにされるが、江戸末期に再興。現在では紫陽花で有名な寺院となり、また境内には昭和の「小堀遠州」と称えられた中根金作(なかね きんさく)によって、平成元年(1898)に作庭家された日本庭園がある。勅命:命令
あじさいで有名な三室戸寺は、大学時代にあじさいライトアップに訪れた大切な想い出の場所だ。あれから25年ほど経過し、2度目の訪問はあじさい時期が終わった7月上旬。当時は気づかなかったが、あじさい園の奥には中根金作による日本庭園「与楽苑」がある。「与楽苑」は石庭と池泉庭園で構成され、「与楽苑」の奥には枯山水の「モミジ園」が控える。
まずは「与楽苑」の石庭。文献や有識者による記述などは見つからなかったが、鶴石組、亀石組、蓬莱山らしき意匠がみつかることから、不老不死を願う道教的な思想「蓬莱神仙思想」に基づいた蓬莱式庭園だろう。写真は鶴石組、亀石組のどちらかであり、なめらかな刈込みが美しい。道教的:中国三大宗教の仏教、儒教、道教のひとつ
もう1つの鶴石組もしくは亀石組。
白砂敷きの石庭の一部は苔庭となっている。ちなみにパンフレットには石庭と記載されているが、石庭とは植栽をほとんど用いない庭園のことであり、こちらは枯山水という表現のほうが正しいと思われる。
石庭西部には、蓬莱山らしき石組がみられる。与楽苑のなかで、もっとも力強く意欲的な石組である。
与楽苑を焦点距離18mmの広角レンズで撮影すると、鶴石組(もしくは亀石組)と蓬莱山の位置関係が分かる。
続いて池泉庭園を東屋から撮影。池泉には中島が設けられ、石橋が架けられている。
護岸石組が巨石で組まれている。ただ、どうも植栽が多すぎるような感じがする。
与楽苑の奥にあるモミジ園。庭園形式は枯山水といえる。立ち入りできないが、苔で覆われた野筋の奥には三尊石風の石組が見られる。野筋:低い築山
右奥には石灯籠もみえる。苑路が造られていないことから、整備中という訳ではなく、この地点から観賞する枯山水なのかもしれない。
開花時期の過ぎた「あじさい園」。また再び、アジサイの咲き乱れるシーズンに訪れてみたい。
三室戸寺 案内図(パンフレットより引用) [ 案内図を拡大する ]
○ | 蓬莱式庭園とおもわれる石庭の石組と刈込みが美しい。 |
× | 池泉庭園は植栽が豊かすぎて魅力半減。 |