もみじ公園
もみじこうえん
もみじ公園は本地に移転した宝幢寺(ほうどうじ)の寺院庭園であったところで、庭園は江戸初期に山形城主・松平忠弘が江戸の庭師とともに作庭。本堂は明治16年まで県の議事堂として使われ、明治44年頃に本堂は薬師寺公園に移設。残った書院と庭園は昭和31年に「もみじ公園」となり、書院は一部改装して「清風荘」として市民に開放された。
明治41年に山形県より発行された「山形縣勝誌」には「宝幢寺庭園」として美しい庭園として紹介されていた。
石組は山形城の本丸庭園から余った石を運びいれたとのこと。ただ全体的に単調さを感じる池泉回遊式庭園である。
もみじ公園という名だけあり、紅葉シーズンになれば色鮮やかで美しい光景が広がるだろう。ただそれ以外のシーズンは一般的な公園と同じような印象をうけてしまう。
護岸石組は全体的に丸みを帯びた石であるが、苔付き風合いを感じさせる。
もみじは京都から移植したもの。
紅葉の麓には良質な苔で覆われている。猛暑の年の9月にもかかわらずコンディションが良いのには驚く。
○ | 寺院庭園が廃寺後も公園として保存されているのが素晴らしい。 |
× | 本庭園は紅葉シーズンに訪れてこそ価値あるもの。 |