紅葉山公園
もみじやまこうえん
紅葉山は明治初期まで存在していた福島城の庭園で「二の丸御外庭」と呼ばれていた。福島藩の初代藩主である板倉重寛(しげひろ)が江戸時代前期に池、茶屋、築山などを設けた。昭和8年(1933)に公園として整備されて一般公開される。
明治6年に廃城となった福島城の庭園「二の丸御外庭」が公園として整備されている。池泉は板倉家の縁のあった三河国の無量壽寺境内(愛知県知立市)にある「八橋かきつばた園」を模している。
八橋かきつばた園といえば、八ッ橋が思い出される。京都銘菓の八ッ橋も由来ともいわれていますが、ここでは橋の種類としての八ッ橋である。複数の板をジグザグにした形状で、多くの庭園で見られるものである。おそらく当時は八ッ橋を架けていたのだろう。八ッ橋については光明寺(鎌倉市)の記事を参考にして欲しい。
池泉に導かれる流れをみつけた。
上流から撮影すると緩やかな斜面を蛇行するように流れている。そして撮影ポイントで振り返ると、
上流に滝石組が見つかる。かつては水が流されていたのだろう。
滝頂部には遠山石のような石を置いている。案内版がないと一般的な公園に感じるが、お城に付随した庭園の面影を残した古庭園である。
○ | 板倉家のルーツとなる三河国の八橋かきつばた園を模した庭園が、江戸時代に遠く離れた福島で作庭された庭園が整備されて面影を残しているのが良い。 |
× | 特に見当たらない。 |