南惣美術館
なんそうびじゅつかん
南惣家はかつての奧能登大野村の江戸幕府直轄の村長(いわゆる天領庄屋)であった。南惣家は美術、茶道を好み美術品を収集しており、その米蔵を改装して昭和46年(1971)に美術館を開館。美術館に併設された中庭には枯山水を設けており、風合いから美術館開館時期に作庭されたものと推測。また母屋、米蔵(美術館)が平成18年3に登録有形文化財に登録される。
米蔵を美術館にした南惣美術館。その米蔵に隣接したところに中庭として枯山水を設けている。庇の柱により書院から額縁庭園を眺めているような感覚に陥る。
築山に沿って枯流れを設けている。石は同種の青石を利用しており、風合いの良いものである。
美術館として利用している米蔵の重厚な黒の扉と白壁のコントラストが美しく、枯山水と調和がとれている。
枯流れには切石の石橋を架け、護岸は出島を作っている。苔がやや荒れているのは獣害の被害だという。
横長の築山で、このような形状をした築山は初めてみるものだ。どのような意図のもとに作庭されたのか気になるところだ。
美術館の所蔵品は雪舟や狩野探幽の絵画、後鳥羽天皇や千利休や小堀遠州の書と非常に貴重なものが多い。
雪舟の水墨。
樹齢400年の舞鶴の松、松の麓には海石。この海石は亀の形をしており、松は鶴の羽を広げたような松で鶴亀の庭となっているのが面白い。
○ | 登録有形文化財に登録された米蔵の白壁が、枯山水の品格を高めている。 |
× | 特に見当たらない。 |