臨済宗には総本山はなく、宗派ごとに大本山をもつ。そのなかで南禅寺は臨済宗南禅寺派の大本山であり、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱い。創建は鎌倉時代(1291年)であり、方丈庭園は小堀遠州作と伝えられ、江戸時代初期のものである。
日本の全ての禅寺のなかで最も高い格式をもつ南禅寺。いくつもの庭園に分かれているが、まずは方丈庭園から眺める。作庭家は江戸幕府の茶人としても知られる庭園デザイナー・小堀遠州といわれ、国指定名勝の庭園でもある。白壁には薄青色の5本の定規筋がみつかる。これは、皇族が出家して住職を務めた門跡寺院の土塀の壁面に、その証として5本の定規筋を引いたのが始まりであり、定規筋の数が寺の格式を表し、5本線が最高格式を表す。まさに、南禅寺にふさわしい土塀である。
これまでの日本庭園は、築山や巨石を立てて表現する須弥山や蓬莱山などの仏教的世界観であったが、方丈庭園は巨石を寝かして配置する構成である。この方丈庭園は別名「虎の子渡し」とも呼ばれる。
方丈の裏手にまわって「鳴滝庭」を眺める。借景にもみじの紅葉が広がり美しい。
鳴滝庭も方丈庭園同様に、白砂に低い苔築山が作られ、石を寝かせた意匠である。
続いては、1984年に作庭された「花厳庭(けごんてい)」である。白砂で見立てた大海に、いくつもの島が作られている。
「花厳庭(けごんてい)」の北東にある三石の石組み。そのうちの一石は船石のようなデザインである。
蔵と方丈と書院に囲まれた苔が主体となる「還源庭(げんげんてい)」。苔庭の奥にある山形の石が遠山石であろう。
1967年に作庭された「六道庭(ろくどうてい)」。作庭当時は、庭の前面部分が白砂敷であったが、現在では苔で一面覆われている。
六道庭(ろくどうてい)の石組みをズーミング。三尊石風に組まれており、主石は右上への強い気勢を感じる。気勢とは、石の形や大きさのことで、石を見たときに感じる力の方向性である。
続いて蓬莱神仙庭。蓬莱山とは仙人が住む不老不死の地とされるところ。写真の左奥にある苔築山に据えられた立石が蓬莱山を表現しているのだろう。
方丈の西側にある小方丈庭園。1966年に作庭され「如心庭」とも呼ばれる。落ち着いた雰囲気の禅庭園である。
「如心庭」の石組み。立石と寝かせた横石で組まれている。
茶室である窮心亭。修学院離宮にある窮心軒から付けられたとのこと。
南禅寺方丈庭園の受付前にある前庭も見応えある。苔築山と砂利を仕切り結界に、青々した竹が使われている。また取材は紅葉シーズンの金曜日に訪れているが、朝イチの8:40に入館したこともあり、他の観光客は数名だけだった。
○ | 禅寺のなかで最も高い格式をもつ南禅寺。江戸時代に小堀遠州作といわれる古庭園から、江戸末期から続く南禅寺の御用庭師の創業による植彌加藤造園(うえやかとうぞうえん)により昭和に作られた近代庭園まで7つの庭園を一度に楽しめる。 |
× | 特に見あたらない。 |