来迎寺は平安時代(814)に嵯峨天皇の勅願により「勅定山 青龍寺(ちょくじょうざん)」として開山された真言宗の寺院である。安土桃山時代に衰退するが、江戸時代に「来迎寺」と改め再興した。庭園は鎌倉時代に上総丈介(かずさのじょうすけ)が能登の地へ逃げ延び、当寺で身を隠していたときに作庭されたのが始まり。現在の庭園は江戸後期時代に改造されたものである。庭園は県指定文化財の登録を受ける。
能登半島の穴場的な庭園といえば来迎寺だろう。客殿から観音堂へと続く回廊に囲まれたところに池泉庭園があるため、様々な角度から庭園を眺められる。
現在の庭園は江戸時代に改修されたものであり、風合いを残したまま保存されているのが嬉しい。
心字池には中島を設け石橋を渡している。この庭園は鶴亀が存在する庭園であり次に図解してみる。
来迎寺庭園の鶴亀を図解する。中島と中島に架かる橋までを含めて亀島としている。お寺の方の話では橋が亀頭石になっているとのこと。そして橋の奥にある白肌を見せる岩が鶴石である。本庭園には複数の鶴石があるが、そのことは後述する。
渡り廊下から斜め上から亀島と鶴石を望む。鶴石の上段に白肌の立石があり、こちらも鶴石とされている。
亀頭石、2つの鶴石を撮影。
上段の鶴石は、まるで幹と同化したようにみえるが、これは木の生長とともにこのようになってきたと思われる。またこの立石以外にも鶴石は存在している。
心字池は「心」という漢字を一筆書きした意匠になっている。一筆書きした「心」()と見比べてみると確かに類似している。
園内を散策することを許されたため園内から亀島を撮影。中島に竹を植樹する例は初めてみたが良い感じである。ただ成長しすぎると台無しになるので、適時植え替えをしているのだろうか。
集団石組で構成された築山は、長い年月とともに苔山となる。周辺が木や建物で囲まれていることもあり苔の状態が良い。
低く抑えられた護岸石組。
自然石と切石で構成された石灯籠。
急勾配の回廊による額縁庭園を撮影して、来迎寺をあとにする。
○ | 1つの亀島に対して複数の鶴石が存在する他に類をみたい鶴亀庭園。庭園を取り囲むような勾配のある回廊により、様々な角度から庭園観賞できて楽しい。 |
× | 特に見当たらない。 |