能満寺は室町時代初期(1345)に開山した臨済宗建長寺派の寺院である。江戸末期に殿堂、庫裏を焼失するが、その後、大山寺の客殿を払い受け本堂に改修されものが現在の本堂とされる。境内の庭園は「無相庭」と名付けられ、重森三玲に従事した斎藤忠一(ちゅういち)らによって設計され、庭匠霧島によって平成元年(2019)に施工された。
神奈川県に斎藤忠一によって作庭された枯山水の存在を知り訪問。本堂南側に枯山水を造っている。
説明文によると「無相庭」と名付けられた庭園は、「建長寺を開山した大覚禅師の龍門瀑と夢窓国師の石梁(せきりょう)を取材に修行の大切さを表した」と説明されている。大覚禅師とは蘭渓道隆(らんけい どうりゅう)の死後の名前であり、夢窓国師とは 日本初の作庭家ともいわれる臨済宗の禅僧・夢窓疎石のことである。
石梁(せきりょう)とは石橋のこと。夢窓漱石が開山した天龍寺 曹源池庭園(京都)の継ぎ石橋をイメージしているのだろう。その奥の石組は枯滝石組となっている。
龍門瀑という解説から、枯滝石組の手前にある尖った岩島は鯉魚石だろう。鯉魚石とは鯉が滝を登っているように見立てた石であり、この滝石組は鯉が滝を登るという修行を繰り返すという禅の理念を石組で表しているのである。そして鯉魚石のある滝石組は龍門瀑と呼ばれる。さらに解説には「橋を渡るのにしばらく躊躇すれば水に呑まれる」と書かれている。滝石組の大きさに対して鯉魚石がこれほどまでに大きなものはなく、それはこのような意図があってのものだろう。
石梁、鯉魚石、滝石組を撮影。石梁は「誓願橋」と名付けなれ四国から運んできている。
雪見窓のような意匠をもった生け垣も見逃せない。施工した庭師・星宏海氏のお話では、檀家さんが製作したものを能満寺に奉納されたものであるとのこと。ちなみにこちらで使われた石は先代住職が集めたもので、石橋だけは斎藤忠一氏によって四国から取り寄せたとのこと。
ある程度日本庭園を鑑賞してきた方なら、コンパクトながら見応えある枯山水ということが分かる。
○ | 近代庭園ながらも斎藤忠一によって作庭された枯山水だけあり、細部にまで工夫を凝らした名園である。 |
× | 特に見当たらない。 |