楽々園の説明前にまずは、大名庭園・玄宮園について。玄宮園は彦根城の築城約50年後となる江戸初期に、彦根藩4代藩主の井伊直興(なおき)によって整備された。この井伊直興の下屋敷(別邸)であったのが楽々園となる。玄宮園と合わせて「玄宮楽々園」として、昭和25年(1950)に国指定名勝に指定された。
大名庭園の玄宮園は多くの観光客で賑わうが、隣接した楽々園は無料にもかかわらず人がまばらとなる。彦根城の庭園を整備した藩主の別邸だけあり美しい庭園である。現在は枯山水として整備されているが、古絵図によるとかつては池泉観賞式庭園であったとのこと。
三尊石を中心とした須弥山石組。須弥山とは、古代インドの宇宙観に世界の中心にそびえ立つ山である。須弥山石組では、雪舟により作庭された島根県益田市の萬福寺(万福寺)が有名であるため、記事を参考にして欲しい。
ここまでの解説を元に、改めて枯滝石組を観察してみて欲しい。また、山裾に高さ1.4mほどの山形の立石は蓬莱石とされる。その山裾の先は岬のようになっており、先端には亀頭石もあり亀出島と蓬莱山を組み合わせた意匠となっている。蓬莱石:不老不死の妙薬があるとされる蓬莱山に見立てた石。
そして池泉下部にも枯滝石組を設けている。
滝水が岩肌を滑り落ちない離れ落ちの形式であり、複数の滝添石で構成されている。
先ほどの亀出島を撮影。
場所を変えて旧御殿側を撮影すると、野筋の間に設けられた枯流れが分かるだろうか。
別の場所から撮影すると、このような枯流れになっている。
こちらは枯池だろうか。自然石を組み合わせた石灯篭も風格があって良い。
奥書院。その奥に存在感を放つ立石がある。
楽々園は玄宮園と連続性を持たせて造られており、左奥が玄宮園となっている。玄宮園に訪れたら必ず立ち寄って欲しい庭園である。楽々園は平成17年(2005)より20年間の保存整備事業中であり、2025年には枯流れの上流まで含めて整備が完了する予定。その頃に改めて再訪してみたいと思う。
○ | 玉澗流の枯滝石組は豪壮であり、見るべき石組も多い。玄宮園と合わせて必ず見学したい庭園である。 |
× | 特に見当たらない。 |