智積院は真言宗智山派の総本山であり、成田山新勝寺、川崎大師平間寺、高尾山薬王院を大本山とする。元々は和歌山県の根来寺の塔頭寺院であった。創建は安土桃山初期(1598)とされ、庭園は江戸初期に作庭された。昭和20年(1945)に国指定名勝に登録。
大書院からは中国の廬山と揚子江の景を摸したといわれる築山と池泉のある庭園。利休好みの庭園ともいわれ、後述するが当時流行った水墨山水画の手法を取り入れている。
築山にはツツジとサツキの刈込みにより、5月中旬から6月上旬にかけて色鮮やかさを添え。また滝石組が作られており、望遠レンズで撮影すると、、、
このように、上段にゆるやかな曲線をもつ切石橋が架けられている。このような緩やかな曲線をもつ切石橋は江戸初期の特徴である。また滝上部に石橋を渡す手法を玉澗流(ぎょっかんりゅう)と呼ばれる。これは安土桃山時代に作庭家・上田宗箇(うえだ そうこ)によって生み出され、宋の有名な水画家・玉澗の山水画がモチーフとなっている。このようなことから、「水墨山水画の手法を取り入れている」といえる。また滝前には、水を左右に分ける「水分石」を配している。玉澗流の滝石組では、和歌山の粉河寺庭園が傑作であり、ぜひ足を伸ばして欲しい庭園のひとつである。
池泉南部には青石による石橋が架かり、池端の景を引き締めている。この石橋を渡って、山麓の石段を伝って、築山北部の石橋に渡れるような苑路が作られている。(一般立ち入りはできない)
縁側にある一文字形手水鉢は、茶室の傍に置かれていたものである。
池泉は大書院を取りむように流れ、大書院裏手の中には枯山水が作られている。苔庭には蓬莱山にもみえる立石がある。
先ほどの枯山水を反対側から撮影。切石による石橋を架けている。
講堂の東庭にも一文字形手水鉢がある。近くに茶室がないため、こちらも茶室から移設されたものだろうか。
格子越しの紅葉に足がとまる。
講堂の西側には、池泉庭園から続く庭園が広がる。
反対から撮影するとこのようになっており、池泉が揚子江に見立てた河川のようになっていることがわかる。
○ | 京都では数少ない滝上部に石橋を渡す玉澗流の手法をとった滝石組を楽しめる。またかつては滝石組が隠れるぐらい刈込みがあったが、訪問時はかなり除去されていた。 |
× | 特に見当たらない。 |