霊雲院は室町時代(1390)に岐陽方秀(ぎようほうしゅう)によって創建された臨済宗東福寺派で東福寺の塔頭寺院である。書院前庭には熊本藩主・細川忠利から贈られた名石「遺愛石」が置かれ、江戸時代の観光ガイドブック「都林泉名勝図会」に掲載。その後荒廃するが、モダンな庭園造りで知られる日本庭園史の研究家・重森三玲によって修復復元。
かつては常時公開であった東福寺の霊雲院であるが、2022年時点では不定休であり、事前の電話予約制となっている。ちなみに私が取材したときは、「公開中」の看板が立っていたので、予約時間帯は一般公開されているということだ。そのため週末などは予約無しでも見学できる可能性があると思われる。さて、写真は「九山八海の庭」だ。中央の舟形の石に置かれた石が、江戸時代から残る名石「遺愛石」である。
九山八海とは、古代インドの宇宙観に世界の中心にそびえ立つという巨大な須弥山があり、その須弥山を囲む九つの山と八つの海を表現した石。要は仏が住する清らかな世界・浄土の意味を強調している。
築山の谷間を利用して枯滝石組と造っている。水が流れ落ちる様子に見立てた石を丁寧に敷いており、下流には水を左右に分ける水分石を配している。
「遺愛石」を須弥山に見立てた九山八海の庭であるが、この石が鹿苑寺庭園(金閣寺)の九山八海石に類似しているのは、ただの偶然なのだろうか。
続いて書院西庭「臥雲の庭」。
州浜の模様は雲を表しており、このような意匠は重森三玲らしさを感じさせるものだ。
赤い石は鞍馬砂を使っており雲に見立てられ、白い白砂は大海に見立てられている。
大海の上流には枯滝石組があり、平たい石で水の流れを表現して、中央には鯉魚石を配している。ただ、「臥雲の庭」の見どころでもある枯滝石組が植栽で覆われ、その姿の大半が隠れてしまっているのは誠に残念なところだ。鯉魚石については、鹿苑寺庭園(金閣寺) の記事を参考にして欲しい。
切石と立石のバランスが絶妙。
単調となる要素がなく、豊かな汀をもつ大海。
茶室「観月亭」は二階建ての茶室である。その向かいには造られた露地風の庭園は、北庭にあたるため苔が良質である。
書院の雰囲気。
余談であるが、本庭園で私が管理人をさせていただいているfacebookグループ「日本庭園」のメンバーに偶然出合った。初対面であるが、2.5万人もメンバーがいると京都では偶然出合うことがあっても不思議ではないのだろう(笑)
○ | 重森三玲によって修復された3つの庭を見学でき、いずれも手法が異なり飽きのこない庭園である。 |
× | 「臥雲の庭」に造られた枯滝石組が植栽で半分隠れてしまっている。周辺の植栽を刈り込むことで本来の石組の美しさが蘇るだけに残念である。 |