蚕糸記念公園
さんしきねんこうえん
江戸時代の半ばから養蚕業が盛んだった桑折町。明治後期には郡是製糸株式会社(現、グンゼ株式会社)が進出し、その工場敷地に庭園が造られる。本跡地に平成31年(2019年)3月に蚕糸業で発展した町の歴史を伝える公園が完成。
蚕糸工場跡地に作られた記念公園は、昭和50年代に工場敷地に作られていた日本庭園を縮小した庭園がある。現地に当時の写真が掲載(本記事にも掲載)されており、比較すると地割りはもちろんのこと、写真右手の三尊石の位置なども同様である、
当時は水を張った池泉庭園で心字池であり、出島を繋ぐ橋は緩やかな弧を描くアーチ状の土橋であった。注目したいのが杭で護岸を補強した杭列護岸である。当時を再現したものであるが、細部への拘りを感じられるところだ。杭列護岸では国指定名勝の旧有備館(宮城県大崎市)が挙げられる。
切り石橋を境にして手前と奥で作りが違うのは違和感を覚えるが、手前は子供の遊び場となっているためだ。写真では見切れているが手押しポンプがあり、子供が遊べるようになっている。
枯池に浮かぶ中島には多行松が植えられているが、こちらは昭和天皇が郡是製糸株式会社(現、グンゼ株式会社)を視察したことを記念して植えられた松が今も保存されている。多行松とは赤松の一種で、江戸時代に埼玉県の安行(現在の川口市)で偶然できた品種とも言われている。
昭和50年代頃の庭園風景
○ | 昭和50年代の庭園の名残を残すために、細部への拘りが配慮されている。 |
× | 庭園と水遊びが同居していることで、やや違和感を覚える。 |