志度寺 無染庭
しどじ むせんにわ
真言宗善通寺派の寺院である志度寺は、創建は飛鳥時代(626年)と伝わる。室町時代には曲水庭園が造られ、昭和36年には重森三玲により復元。また同じく重森三玲によって書院南庭に枯山水「無染庭」が造られている。
モダンな庭園造りで知られる日本庭園史の研究家・重森三玲によって作庭された枯山水「無染庭」。
京都の名園「龍安寺 石庭」を摸したような石庭は、さぬき市に伝わる「海女の玉取り伝説」を題材にしている。息子の行く末を願う海女だった母が瀬戸で命を落とす伝説であり、横長の石は母の命が尽きた真珠島、石と白砂は瀬戸内海の島々と大海を表現している。
真珠島と瀬戸内海の島に見立てた岩島。見方によっては漁船に見立てた舟石とも考えられる。横石と野筋の組み合わせが高いデザイン性を感じるところである。余り他に例をみない意匠だろう。
書院から眺めると1つの立石にみえるが、実は裏側にもう1石隠れている。
真珠島に見立てた大石と手前の岩島は実に美しい。
庭園奥にある立石も望遠レンズで撮影すると2石で組まれ、書院からは一見すると5石にみえるが、7石で組まれている。日本庭園では2石は例外として、縁起のよい奇数の石で組まれることが多い。
無染庭の外側には、重森三玲によって復元された曲水庭園があるが、訪問時は池泉は荒廃しており写真撮影は行っていない。陸地には螺旋状の石組があり、本尊・十一面観音の頭上の十尊とのこと。この配列は北畠氏館跡庭園(三重県津市)の須弥山石と九山八海石にも見える。
中央の立石を中心に横から撮影。あまりにも説明がないので、事前知識がないと枯山水「無染庭」だけを観賞して帰ってしまいそうだ。
志度寺の案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 龍安寺の15石に対して、志度寺は7石による石庭。スケールは一回り小さいが横石の使い方や、書院から死角となる石など非凡な才能を感じる。 |
× | 重森三玲が復元した曲水庭園が荒廃している。 |