湧水庭園 四明荘
ゆうすいていえん しめいそう
四明荘は明治後期から大正後期頃に医師・伊東元三の別荘として建築された。当時は西に雲仙が見えるなど四方の眺望に優れていたことから「四明荘」と名付けられた。庭園は昭和初期に禅僧を招いて作庭された。平成26年に国の登録有形文化財の指定を受ける。
島原市は水の都といわれ、この周辺は特に湧き水が豊富である。湧き水を観光に活かす趣旨のもと、町内の水路に鯉が放流され「鯉の泳ぐまち」となっている。この湧水庭園「四明荘」にも昭和初期に庭園が作庭され、湧き水による池泉が書院と一体化している。
四明荘は隣接する住宅との間に生け垣を設けている。
縁側に腰掛ければ、足下は澄んだ湧き水の池泉であり、なかなかこのような澄んだ池泉はお目にかからない。
池底は砂敷きになっており、沢飛石を設けているが庭園内は立ち入りできない。
護岸石組は低く抑えられ、苔や草によって石が目立たないようになっている。
池泉東部は苔敷きの平地であり、先ほどの沢飛石へと導くように飛石を配している。
「正面にピンク色のAEONの看板が視界に入っており、この看板が「どうもねぇ」というお話をしていたところ、お客様がたまたまAEONの関係者だったのよ。」という笑い話を伺う。その後撤去されたが、この話がきっかけではなく老朽化により撤去されたとのこと(笑)
縁側が張り出しているため、縁側と池泉が一体化したような光景が目を楽しませてくれる。
訪問は冬期であったためだろうか、鯉は一ヶ所に集まっていた。
南側の縁側から沓脱石から始まる飛石は進むにつれて小さくなり、限られた敷地に奥行き感を生み出している。
○ | 島原市の豊富な湧き水により、淀みない透き通った池泉が書院と一体化した風流な邸宅庭園である。 |
× | 庭園自体の見どころは少ない。 |