四天王寺は日本書紀によれば、推古天皇(飛鳥時代)に創設。飛鳥寺(奈良県明日香村)と並び、本格的な仏教寺院としては日本最古である。極楽浄土の庭は江戸初期とされ、現在の庭は明治初期に火災による焼失から復興されたものである。
極楽浄土の庭は、中国の説話「二河白道(にがびゃくどう)」に基づく。二河白道とは浄土教における極楽往生を願う信心で、「二河」とは「火の河:怒り」と「水の河:欲の深さ」を表し、その間にある「白道」を進めば、極楽浄土に達し往生できるというもの。石橋の先は中島になっており、奥が「火の河」、手前が「水の河」であり、石橋の先の苑路が「白道」に見立てている。
火の河沿いの釈迦の滝を撮影。河には舟石とみられる横長の石を据えている。
「釈迦の滝」の上部には遠山石を配している。また落水を受けとめる水落石は、鯉魚石にみえる。少し斜めから撮影してみると、
このようになっていて、これはまさしく鹿苑寺庭園(金閣寺)の鯉魚石(りぎょせき)に似ている。鯉魚石とは鯉が滝を登るようすを表現した石であり、そうすると、この滝は龍門瀑(りゅうもんばく)ということになる。詳しくは鹿苑寺庭園(金閣寺)の解説を参考にして欲しい。
釈迦の滝と瑠璃光の池を繋ぐ「火の河」には、また舟石と思われる石(▲マーク)がみつかる。
その先に続く瑠璃光の池があり、岩島が造られている。
瑠璃光の池には、三段の滝石組が造られている。
極楽の池に到着。大池には阿弥陀三尊石が組まれている。
阿弥陀如来を中尊とした三尊石は迫力あるものである。江戸時代以降は丸みを帯びた石が使われることが多く、こちらの庭園が江戸初期に造園されたこととも一致する。
三尊石の北東部には、九山八海(くせんはっかい)風の岩島がみられる。九山八海とは、須弥山(しゅみせん)を順に取り囲む九つの山と八つの海で、中央に据えた須弥山の周りに複数の岩島がある。あくまで私の推測の域をでないが、そのような推測も面白いものだ。ちなみに九山八海の代表例としては北畠氏館跡庭園(三重県津市)が挙げられる。
そして最後は、方丈前庭にある「補陀落の庭(ふだらくのにわ)」。三尊石の阿弥陀如来の左脇侍は観音菩薩であり、その観音菩薩が住む霊場の伝説上の山が「補陀落」である。
緩やかな築山を取り囲むように遣り水が造られている。
築山上部には、こちらも三段の滝石組が造られている。仏教の教えを表現した実に勉強になる庭園に感銘を受けた。
極楽浄土の庭 案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 仏教の教えを表現した見事な庭園であり、日本庭園の要素がいくつも取り入れられ深い知識が得られる。 |
× | 特に見当たらない。 |