月輪殿は、平安時代後期に藤原忠通の六男・九条 兼実(くじょう かねざね)の別荘。その跡地に、東福寺の塔頭寺院・即宗院が、室町時代(1387年)に創建される。昭和52年に桂離宮の復元整備などに携わった作庭家・森蘊(おさむ)により、復元され京都市史跡に指定された。
通常は非公開である即宗院 月輪殿庭園。秋など期間限定で特別公開されます。すぐ隣には、同じく期間限定公開の重森三玲作の龍吟庵も。藤原忠通の息子の別荘跡にあった庭園が復元されているということで拝観。
苑路は単調で3分もあれば回遊できてしまう規模。注目すべきは月輪殿の庭園跡であるが、庭園内に解説がないため殆どの観光客は気づいていない。
庭園は手入れが行き届いているため、こちらが月殿跡の庭園と思ってしまうが、道の先にある池泉庭園が「月殿跡の庭園」となる。写真にある苑路の突き当たりを左に進むと、右手に次のような滝石組がみえてくる。
こちらが滝石組である。重森三玲の孫にあたる重森千靑氏によると、貴族の邸宅に造られた邸宅は家の衰亡により消滅を免れなく現存するものはない。このような現状で発掘による復元ではあるが、室町時代後期の寝殿造り庭園がみられるのは大変貴重なものである。そして、写真の★マークは私の推測ではあるが鯉魚石と考える。
鯉魚石と思われる石をクローズアップ。鯉魚石を意図しているのであれば、この滝石組は龍門瀑(りゅうもんばく)となる。龍門縛の解説は、世界遺産「天龍寺 曹源池庭園」の記事を参照いただきたい。
池泉には立石で支えられた2枚の平石で橋が架けられている。こちらも復元である。
池泉でひときわ目立つのが白色が際だつ巨石。
池泉の西部を望む。護岸石組が石島などを眺めながら室町時代の面影を偲ばせる。
庭園入り口の光景。画面中央の松をよく見ると・・・
なんと幹にいかにも重そうな石がつり下げられている。盆栽のように松を伸びる方向を定めるための処置だと思うが、なんともかわいそうな気もしてしまう。
○ | 発掘&復元庭園ではあるものの、室町時代後期の寝殿造庭園を感じられるのは貴重である。 |
× | 庭園に解説がないため、大半の観光客には月輪殿の庭園跡を知らぬまま帰ってしまう。 |