後水尾上皇(ごみずのおじょうこう)に自らの設計によって江戸初期(1656年)に造営された別邸。昭和39年(1964)に下離宮・中離宮・上離宮の間にある水田畑地を買い上げて付属農地とすることで景観維持を行った。現在は宮内庁の管理となり事前予約で参観可能。上皇:皇位を退かれた天皇
事前予約して3連休初日の朝9時からの拝観ツアーに参加。自由行動はできないためゆっくりと撮影はできない。まずは御幸門をくぐると、下離宮の池泉庭園がお目見え。出島には石組が組まれている。
先程の出島には、竿と中台が一体となった袖形灯籠(そでがたとうろう)がある。ワニが口を開けているようにも見えるため鰐口灯籠ともいう貴重な石灯籠。コの字には、天井から釣燈籠を吊り下げられ苑路を照らせるようになっている。御幸門を入って、すぐ右手にあるが見逃しがちなので注意して進もう。
その先には、石灯籠の屋根の部分にあたる「笠」が櫓型になっていることから櫓形灯籠と呼ばれる石灯籠がある。
下離宮には池泉へと繋がる遣水(やりみず)が造られている。遣水:水の流れ
寿月観の南側には小さな滝石組がある。水落石(みずおちいし)の両側にある滝添石。左手の滝添石は、やや傾斜した立石手法が使われている。重森三玲の著書や、庭園に造詣の深い方のブログなどを拝見すると、「やや傾斜させる手法」が格調高い手法とされているようだ。
下離宮にある書院「寿月観(じゅげつかん)」。写真は一の間であり、写真左に三畳の上段があり、さらに上段に床の間がある。
下離宮の参観を終え、松並木を経由して中離宮へ向かう。作庭当時は棚田の松並木もない「あぜ道」であり、明治天皇がご訪問された際、赤松を植樹し、砂利を敷き整備したことから御馬車道とも呼ばれる。
中離宮の表門をくぐると階段があり、その右手には苔庭が整備されている。この先に、池泉庭園があるので、この階段が見えたら参観ツアーの先頭群を確保しよう。
すると、このような池泉庭園を撮影できる。写真中央の石橋を通過するコースであるために、先頭群にいないと人のいない写真を撮影できない。入り組んだ池泉となっており、左手には滝石組もみえる。
重厚感ある自然石とも思われるような石橋が架けられている。
2枚前の写真で説明した左手にある滝石組。滝添石は片方だけであり、立石手法が使われていて、滝壺の前には水流を左右に分ける水分石を配している。ただ、ここしばらくの長雨のせいだろうか、水分石の周辺の土により、その美しさが半減している。
楽只軒の近くにある滝石組。先ほどの滝石組と違い、こちらの水分石は土で覆われておらず本来の美しさをみせてくれている。
滝石組から振り返ると、この滝水が遣水を通って池泉へと流れ込んでいることがわかる。ちなみに中離宮は当初、皇女の御所として造られたもので、明治時代に離宮に加えられている。
楽只軒のそばには、非公開の林丘寺(りんきゅうじ)へ繋がる石段があるが、石組みが弱い修学院のなかでは、力強い集団石組がみられる。あまり注目されないポイントであるが、見逃さないようにしたい。また林丘寺の公式サイトを確認すると、将来的には拝観可能となると記載があった。楽しみに待ちたい。この先は、修学院離宮最大の敷地である上離宮へ向かう。つづきは修学院離宮(上離宮)でご紹介。
○ | 皇居以外に作られた天皇/上皇の別邸である離宮は数多く作られたが、現在も残るのは桂離宮と修学院離宮だけとなり大変貴重な庭園である。また雄大な借景は京都でも随一と思われる。 |
× | ツアー形式であるため、ゆっくりと見学できない。書院では立ち止まって見学できるが、庭園を素通りが多くあわただしい。 |