藩主より塩田開発を命じられ、いまでは「赤穂の塩」のブランドを確立した日本一の塩田地主が田淵家である。藩主を接待することも兼ねて江戸時代に三代かけて庭園を造り、昭和62年(1987)に国指定名勝を受ける。通常非公開であるが毎年11月の数日だけ特別公開される。
2022年は11月の下旬に2日間のみ特別公開された田淵氏庭園。予約不要ということで初日の一番早い時間帯に訪問してみた。多くの観光客で溢れるかなと思ったが、同時刻に集まったのは20名ほど。見学は10名ぐらいの単位でガイドと一緒に巡る形式であり自由に廻遊はできない。ただ最後尾で移動を少し遅らすことで、このような人が映り込まない写真となっている。
三崎山の山麓を活かした庭園であり、最上段に茶室「明遠楼(めいえんろう)」、中段に茶室「春陰斎(しゅんいんさい)」、下段に書院を備えている。写真は書院前から池泉庭園と茶室「春陰斎」を撮影している。
池泉は流紋岩をくり抜いて池を造ったという話に、見学者の皆が驚いていた。その削り取ったことが分かるのが、この滝になっているところで高さは4m程。また手前の岩島には五重の石塔が建つ。
書院前には飛石が渡され、中央には円形の伽藍石(がらんせき)が使われている。伽藍は寺院のことで、寺院を支えていた土台となっていた石を伽藍石と呼び、寺院の取り壊しなどで廃材となった伽藍石が飛石として再利用されている。飛石では伽藍石が時折みられ、飛石の分岐点に使われることが多いが、ここでは飛石に変化をつける意匠として利用しているようだ。
一枚岩の石橋を渡って中段に登って行く。竹の穂を縦に並べた大徳寺垣を横目に苑路を進んでいくと、
春陰斎が見えてくる。土塀に設けた中潜りがあり、この中潜りで外露地から内露地へと向かうのである。
中潜りを潜って内露地へ進むと、腰掛待合がある。表千家の茶家である久田家(ひさだけ)の分家である久田宗参にて設計された茶室と露地である。
庵風茶室「春陰斎」。江戸中期(1764)に造ったと伝わり、屋根には明かり取りの突上窓(つきあげまど)を設けている。いまでいうサンルーフのようなものだ。
にじり口から茶室内部を撮影。
さらに登って行くと上段の茶室「明遠楼(めいえんろう)」へ到着。
腰掛待合には裏山の流水を利用した珍しい滝蹲踞(滝つくばい)が置かれている。
明遠楼には金泥で書いた書画貼られており、
突上戸からは瀬戸内海と塩田跡を望めるとあったが、周辺環境の変化により瀬戸内海は僅かにしか見えない。
書院に降りてきて、松明垣(たいまつがき)と飛石による延段を眺める。松明垣とはその名の通り竹を束ねた松明(たいまつ)に似ていることからその名が付いている。
○ | 中段の外露地と中露地をもつ茶室「春陰斎(しゅんいんさい)」が特に美しい。内露地への導線が、中門ではなく中潜りとなっているのが風流で良い。 |
× | 特に見当たらない。 |