帝釈寺は飛鳥時代(698)に道照上人が開基したと伝わる。江戸時代に再興し、庭園は江戸初期(1691)に作庭され、一説には徳川家康に仕えた大名であり茶人である小堀遠州によって作庭されたとの伝承もある。帝釈寺庭園として昭和57年に町指定文化財に登録されている。
事前に電話予約で拝観。書院から準築山式枯山水庭園を鑑賞する座観式となっている。当日は住職が庭園解説図と共に説明してくだり理解しやすく勉強になる。準築山式枯山水庭園とは、一部に低い築山がある枯山水のことである。これに対し、一般的な築山があるのが築山式枯山水、築山がないのが平庭式枯山水と呼ぶ。
築山式枯山水を額縁庭園で撮影。本枯山水には2つの様式を持たせているのが最大の特徴となっている。
まずは神仙様式。神仙様式とは仙境を描いた山水画であり写真に図解してみた。本堂の屋根は喜見城(きみしろ)と須弥山に見立てている。喜見城とは帝釈寺の屋号「喜見山(きみいさん)」からきている。須弥山とは日本庭園ではなじみ深い仏教の世界観にある中心的な山のことであり、書護身とされる天部に分類される神々が住まうとされている、その須弥山には甘露(甘い液)が降っているとされ、その雨が大海原へ流れ込み、大海原には神・仙人の住まう島が表現されている。
滝に注目して撮影。滝石組にも複数の意匠が隠れているが、そちらは記事後半で説明。また水飛沫を表現している栗石は近年置き換えられたものだろう。
続いて寺院に頂いた説明図には「祝儀思想の蓬莱式」と記載されていた図をもとに図解。「祝儀思想」という言葉は初めて知ったが、Traditional Japanese Garden Stylesによると祝儀思想は蓬莱石組,鶴島,亀島,陰陽石,七五三石組みなどを意味するとのこと。さらに補足すると仏教的石組は三尊石、礼拝石、風景的石組は滝石組、護岸石組。実用的石組は飛石、蹲踞などに区分される。そして、図に記載したように蓬莱山、鶴石組、亀出島、舟石を配置し、そこに庭園のビューポイントとなる礼拝石を配している。
鶴石組にフォーカスして解説してみる。帝釈寺で庭園を見学するような方であれば、鶴石組といわれてすぐに理解できるだろう。次に図解してみると、
このようになっている。立石が鶴の首を模した鶴首石(かくしゅせき)、その奥の山形の石が鶴の羽を模した鶴羽石となり、二石で鶴石組になっている。
またこちらの石組は図のように枯滝石組に捉えられる。立石は守護石となり、その右側に水が流れ落ちる水落石、そして滝壺付近には水を左右に分ける水分石を配している。また滝石組の奥には遠山石を置いて滝石組に立体感を生み出している。
亀出島、舟石、蓬莱山にフォーカスした写真を掲載。
やや角度を変えて眺めると亀出島が分かりやすくなる。
最後に右手前を観察。
汀蕗には舟形をした石組があることに気づくだろう。
○ | ひとつの枯山水に神仙式と蓬莱式の2つ通りの要素が詰まっている。このような庭園はこれまで1,000ヶ所取材したなたかでは、例がなく希有である。 |
× | 特に見当たらない。 |