東氏館跡庭園
とうしやかたあとていえん
西暦1200年頃から約320年間、この地を治めていた東氏の館跡。昭和54年の発掘調査で庭園の痕跡が見つかり、昭和62年(1987)に国指定名勝庭園となった。つまり、この庭園は鎌倉時代から室町時代にかけての時代に造られたと考えられている。
終日解放された東氏館跡庭園を朝イチに訪問。篠脇山の麓に、篠脇城を居城としていた東氏の館があった。篠脇山の湧き水を池泉へと導く取水路が矩形になっているのは、この矩形に建物があり、その周りが水路となっていた為だ。
こちらの庭園は、「中島は正面からは鶴の姿、東側からは亀に見える」とのこと。
正面と思われる場所から撮影。山形の石が羽石だと思われるが、少々分かりにくいため、少し場所をずらして鑑賞すると、
このように見える。
分かりやすいように図解すると、2つの石が鶴の羽を模した羽石となっている。
中島から岩島が連なっている。
そして東側から撮影すると、亀島に見える。
先ほどの手前の羽石が、今度は亀の頭のようにみえるため、羽石と亀頭石を兼ねた巧みな石組である。数多くの鶴島・亀島を眺めてきたが、見る場所によって鶴島と亀島で変わるのは初めての経験だ。
護岸石組も美しく、松の手前には小さな滝のような石組も確認できる。
水路と池泉。ちなみに現地にはQRコードを読み取ると庭園の解説が表示され、これにより中島が見る場所によって変化することに気づいた。無料開放されている庭園では解説がなされていないことが多いが、このような配慮があるのは嬉しい。
東氏館跡庭園の案内図。 [ 案内図を拡大する ]
○ | 視点場によって中島が鶴島、亀島に変わる仕掛けが見事で、東氏館跡庭園でしかみられない貴重なものである。 |
× | 特に見当たらない。 |