光禅寺は、安土桃山初期(1596)に創建した曹洞宗の寺院である。庭園は室町・桃山時代の面影を残した江戸初期~中期とされる。
室町・桃山時代の面影を残した江戸時代の光禅寺庭園。後世の補修がみられず今も残る古庭園であり、東北エリアでは屈指の庭園とされる。観光ガイドマップなどでもあまり紹介されておらず、隠れた名園だろう。墓地に隣接した駐車場近くの入口から入園すると、誰もいない静寂な空間が広がっていた。
庭園は東西に池泉が伸びる池泉観賞式庭園。池泉に作られた出島や中島などにより、眺める角度によって美しい景をみせてくれる。写真は池泉東部であり、出島の先端部は石組を設け、この石自体は丸みを帯びて強さを感じさせないが上質な意匠だ。
奥の滝石組は解説によると「滝石組は三巨岩を立て、そこに懸かる滝を二段落ちに落とす」と記載されている。
池泉奥は巨岩を多く配し、池泉にはいくつかの岩島を配置した岩磯風の趣が深いのに対し、手前はゆるやかな芝生の洲浜である。これは現世の世界である此岸(しがん)と、あの世の世界である彼岸(ひがん)を対比した彼此対象の妙をみせているものだ。
出島には護岸石組、そして頂きには石組により迫力を持たせている。こちらは鶴石組と出島を兼ねた「鶴出島」と想像する。
その鶴出島の隣にある中島は亀島だろうか。
中島の左端には亀頭石、中央水際には亀脚石らしきものを確認できる。そして中島中央には三尊石らしき石組があり遠山石(えんざんせき)を兼ねた蓬莱山と見立てることもできる。 遠山石とは、遠山を抽象的に表現した石、蓬莱山とは不老不死の仙人が住むとされる山のことである。鶴と亀と蓬莱山は長寿のシンボルであり、この3つは日本庭園によく見られる。
池泉西部にも出島が作られている。
池泉東部から西部を眺めると入り組んだ地割りになっている。この地割りの美しさこそが、光禅寺庭園の魅力といえよう。
○ | 池泉に積極的に出島や中島、岩島を配し、一見すると単調な池泉庭園にみえるが角度を変えて見ていくと実に汀線の美しい光景だ。 |
× | 特に見当たらない。 |