梁川城跡 心字の池
やながわじょうし しんじいけ
梁川城は伊達氏によって鎌倉時代に築城。明治には本丸城跡に梁川小学校、第二次世界大戦後は二の丸に中学校・高等学校が建築されたが、本末城跡土塁、庭園などに往時の梁川城の姿が残されている。令和元年に梁川城跡を含む「伊達氏梁川遺跡群」が国史跡に登録。
鎌倉時代に築城された梁川城に作られた本丸跡庭園「心字の池」。中世(鎌倉、室町、安土桃山)の城郭内庭園では梁川城のように本丸に庭園が現存する例は少なく、極めて貴重とされている。「心字の池」
土塁に登って「心字の池」を見下ろしてみると、3つの中島があるように見えるが、2つの中島と、1つの出島となっている。
この石垣は鎌倉時代から残るものである。「心字の池」は城から見下ろす景色として設計されたものだろうか。
大小の岩島を「詰杭(つめぐい)」のような意匠で円形に囲んでいる。まだ城側の護岸にも詰杭がみられる。詰杭とは、池の波が直接土手にぶつかるのを防ぐ役目を果たし、県内では国指定名勝の南湖公園(福島県白河市)で見られるが、おそらくこちらの詰杭は目的が違うだろう。
2つの中島は亀島のようにもみえる。
天を突くような岩島が美しい。
斜面に沿って斜めに3石の立石を配置することで枯滝石組としている。
「心字の池」西部は州浜となっており、先ほどの枯滝石組とともに中世庭園の姿が残されている。
梁川城跡 案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 「心字の池」を城郭跡から見下ろせ、立体的に庭園を確認できる。 |
× | 特に見当たらない。 |