明治9年(1876)に開園した横浜公園は日本最古の公園で、外国人「彼(ひ)」と日本人「我(が)」の双方が利用できたことから「彼我公園」と呼ばれていた。明治42年(1909)に「横浜公園」と改称されたころに庭園は取り壊されるが、昭和53年(1978)に再整備され、平成29年(2017)に日本庭園部分を「彼我庭園」と定められる。
横浜DeNAベイスターズの本拠地である横浜スタジアムに隣接したところにある池泉回遊式庭園の彼我庭園。訪問日は試合前ということもあり、多くの野球ファンで賑わっている。
彼我庭園の中心となる滝石組は、直線的なデザインを組み合わせたユニークな意匠である。
焦点距離240mmの望遠レンズで滝石組を撮影すると、高さを揃えた石組による三段落としになっていることが分かる。そこに単調にならないように、景石によって景観に変化を生み出している。
池泉南部には遠山石(えんざんせき)を据えている。手前には大きさの異なる4石の岩島が配されている。
丸石を敷いた遣り水(やりみず)。右手だけに水が流れ、左手は枯流れとなっている。遣り水:水の流れのこと
水の流れていない遣り水である枯流れを撮影。川底には山形の石が不規則に並べられている。
第33回全国都市緑化よこはまフェスタ(2018年)の開催に合わせて、造園技術伝承研修会にて整備された切石と霰こぼし(あられこぼし)の市松模様にあしらった延段。延段:石の通り道
こちらも研修会で整備された自然石による乱張りの延段である。
先ほどの遠山石(えんざんせき)を広場から眺める。遠山石を正面から撮影するためには、200mm以上の望遠レンズが必要となる。
蹲踞(つくばい)と水琴窟。Aは石造りの手水鉢(ちょうずばち)。手水鉢は、隣接する茶室へ向かう際など、身を清めるため造られることが多い。B、C、Dの石の表面は平であり、これには役割がある。Bは手燭石(夜の茶会で使う手燭(てしょく)という明かりを置く石)、Cは湯桶石(茶室で使う湯桶を置く石)、そして両手が空いた状態でD(前石)に本人が立ち手を清める。この4石をまとめて蹲踞(つくばい)と呼ぶ。これで、アナタも日本庭園ツウ。
右奥にみえるのが横浜スタジアム。試合日でなければ、スタジアムの隣にある日本庭園であることを忘れてしまうような空間である。
4月上旬に訪問したため、彩り豊かなチューリップが咲き乱れていた。
横浜公園の案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 日本庭園を取り囲む植栽は背丈が高く、周辺ビル群の目隠しになっている。 |
× | 場所柄多くの人で賑わっていて落ち着かない。 |