飛鳥時代に僧坊「吉水院」として創建されたと伝わる。明治時代には神仏分離が行われ、後醍醐天皇の南朝の皇居であったことから、明治8年に吉水神社と改められた。江戸時代には豊臣秀吉が大花見をした時に、花見の本陣(大名などの宿泊所)となり、秀吉自ら設計を行った安土桃山時代の日本庭園がある。
神門をくぐるとすぐ左手に池泉庭園がある。池泉部は黒のビニールで覆われており、神主に伺うと冬場になると鷺(サギ)が鯉を狙うため冬場のみ対策をしているとのこと。そして、この築山を解説すると、、
このようになっている。亀石組の左にある巨石が亀頭石となる。奥にが不老不死の妙薬があるとされる蓬莱山に見立てた蓬莱石。築山は須弥山(しゅみせん)。須弥山とは古代インドの宇宙観に世界の中心にそびえ立つ山であり、要は仏が住する清らかな世界を見立てている。
須弥山の頂きに立石を据え、須弥山を取り囲むように石を配している。
現在の吉水院庭園は、現在は参道で分断されているが、当時はひと続きの庭園となっていた。
奥の亀石組・蓬莱山・須弥山があるブロックが池泉庭園になっており、手前の枯山水に鶴石組、そして神門を潜ってすぐの所に舟石がある。
鶴石組が置かれた枯山水。
鶴石組は三尊石で構成されており、中尊石がやや傾斜させた豪壮な意匠である。
こちらは舟石であり、蓬莱山に不老不死の妙薬を取りに行く船に見立てている。
舟石を絵から撮影。ここまでが無料で見学できる領域であり、庭園見学だけであれば、もう十分である。
拝観料を支払い日本最古の書院造りの建築へ。そのエリアには平成19年に作庭された枯山水があるが、意図が分からない石の配置である。
神主に伺えば、中心に北斗七星に見立てた石組をおき、周辺にいろいろな役石を配しているが、解説が早くて理解しきれなかった。
庭園は見応えあるものではなかったので、吉水神社の最大と見どころとなる日本最古であり重要文化財登録の書院建築を見学。こちらは、鎌倉時代に生まれた書院造りが残り、日本住宅の源流とものなる。後醍醐天皇が南朝の皇居であった書院は、上下の間を束(つか)で支えない違い棚や、広く奥行きの狭い床の間が特徴である。
先ほどの書院の隣には後醍醐天皇の玉座がある。いくつかの書院建築を観てきたが、吉水神社の書院拝観は当時を偲ぶことができる貴重なものだ。
○ | 豊臣秀吉が設計した神仙思想に基づく鶴亀蓬莱庭園が観られ、かつ日本最古の書院造り建築を見学できる貴重な神社である。 |
× | 冬期は池泉が黒シートで覆われてしまう。 |