楊谷寺は清水寺を開基した延鎮によって平安時代(806)に開山した西山浄土宗の寺院である。書院に面した庭園は「浄土苑」と呼ばれ江戸中期に作庭された。また季節限定で公開される上書院は明治後期に建立。あじさいと紅葉が美しいことで知られており、近年は「紫陽花の寺」と呼ばれることも。庭園は京都府指定の文化財である。
縁日(毎月17日)以外はバス便のない楊谷寺であるが、紅葉時期の平日にも関わらず10人以上が開門待ちしていた。まずは書院から浄土苑の額縁庭園を撮影。池泉観賞式蓬莱庭園となっており、山畔の大きな立石は菩薩に見立てられている。
書院を取り囲むように池泉が造られているようにみえるが、こちらの書院は大正時代に再建されたため、庭園が作庭された江戸時代と位置関係が異なっているとのこと。
浄土苑の最大の魅力は亀島と、その奥にある枯滝石組である。それぞれみていこう。
まずは急斜面の山畔を地形を活かした枯滝石組。滝上部に切石橋を渡した玉澗流(ぎょっかんりゅう)である。玉澗流とは安土桃山時代に作庭家・上田宗箇(うえだ そうこ)によって生み出され、宋の有名な水画家・玉澗の山水画がモチーフとなっている。
案内板によると中島は亀島であり、風合いと形が美しい石組によって構成されている。
亀島は切石橋、自然石橋、そして亀頭石からの沢飛石で連なっている。亀島に3つのアプローチがあること自体が希有であるが、それぞれが全てことなるものであり、このような意匠をもつ亀地は例をみないものだ。
先ほどの写真は書院から二階建ての上書院へ向かう回廊から撮影したものだ。写真下部には先ほどの沢飛石である。
毎月17日の午前中とイベント期間のみの限定公開。明治時代の建築物で天皇家や公家などが通される茶室であった。浄土苑は「山の斜面に三層に分けて造形された景色は類まれなる眺望」と呼ばれているが、一層目が書院からの眺め、二層目が上書院の1階からの眺め(本写真)、そして三層目が上書院の2階からの眺めとなる。
上書院2階からの眺め。午前中に日差しにより紅葉越しのあかりが室内を赤く照されているように感じる。しかしながら曇り空の方が明暗が生まれず柔らかな美しい光景になる。庭園撮影全体にいえることだが、空を主体としない撮影では曇り空や雨天のほうが美しい写真を撮影しやすい。
上書院の2階から亀島を見下ろす。亀島の左上にみる岩島は宝船である。つまり蓬莱山から不老不死の妙薬を取りに行く、もしくは戻ってくる船を摸した岩島であり、蓬莱式池泉庭園と言われる要素の決め手でもある。
さて近年、楊谷寺は「花手水」というキーワードでSNSでバズっている。手水鉢に紅葉を並べ中央にハートを残して紅葉を反射させるという凝ったものだ。これを撮影する女子が増えており、シーズンを問わず手水鉢は花で彩られている。
こちらがSNSで人気に火が付いたきっかけとなる「なないろ手水」。紅葉のグラデーションと肉厚にみえる苔が美しい。この苔は実は竹の上に苔を置くことで厚みを生み出している。江戸時代の歴史ある古庭園だけでも魅力的であるが、このような立地で観光客を呼ぶには工夫が必要であり、庭園の整備にはコストがかかる。これをきっかけに庭園の本来の魅力に気づいてくれる方が生まれることを考えていくと、このような取り組みは大いに評価したい。
書院西側。飛石で切石橋へ誘われる。
最後に亀島に繋がる沢飛石。石組好きには本庭園でのベストショットだ。
○ | 沢飛石、自然石橋、切石橋で亀島に続く意匠が美しく、書院、回廊、上書院と異なる高さから眺められる。また写真映えする手水鉢も感動的だ。 |
× | 特に見当たらない。 |