泉涌寺の塔頭寺院である善能寺は、平安時代(823)に真言宗の開祖した空海(死後の贈り名:弘法大使)によって開基。明治20年(1887)に現在地に移され、稲荷大明神を日本で最初に祀った寺ともされる。本堂には昭和46年の函館での「ばんだい号墜落事故」の慰霊により建立。翌年、昭和47年(1972)に、モダンな庭園造りで知られる日本庭園史の研究家・重森三玲によって池泉観賞式庭園「遊仙苑」を作庭。
重森三玲の作風でらしく石を意欲的に立てており、橋添石は特に印象的だ。橋添石の使い方などは、広島の半べい庭園と似ている。
龍の頭のような石組は、東福寺の龍吟庵を彷彿させる意匠であるが、、、
日本庭園歴覧辞典(著:重森三玲)では「この庭園は祥空殿に因み、飛行機が幾千万の山海上空を飛翔し、窓外に各地の山岳や平野や海島を俯瞰する景観を全庭に畳み、池庭の地割に州浜形を用い、築山あり、龍門瀑あり、鶴亀兼用の石組や岩島、さらには石橋を配し、善能寺としての古典を一方に意図し、しかも他方で飛行機をいう現代を意図し、かつまた遭難者の霊を慰め、霊魂の永遠に蓬莱神仙の境に再生を乞うて、全庭の構想としたのであった。」と記されており、龍の頭のような石組は「鶴亀兼用の石組」だろう。
こちらは滝石組であり、先ほどの記載より「龍門瀑(りゅうもんばく)」となる。龍門瀑とは、鯉が滝を登りきると龍になるという伝説のことで、もちろん鯉が滝を登るようなことはできないが、ひたすら修行を繰り返すという禅の理念を表現したものである。滝下に菱形のような石が、鯉に見立てた鯉魚石(りぎょせき)だろう。
池泉北西部から撮影。
青石の石橋越しに鶴亀兼用の石組を撮影。
「各地の山岳や平野や海島を俯瞰する景観」という記述は、池泉に水を張って初めて完成するものだろうか。その点だけは残念であるが、厳かな雰囲気で重森三玲の庭園を静かに観賞できる穴場寺院といえよう。
○ | ガイドブックには紹介されないが、重森三玲を作品を京都で無料かつ静かに観賞できる穴場寺院。石組も勢いがあり静けさのなかに力強さを感じられる。 |
× | 池泉に水が張った状態もみてみたい。 |