安国寺の創建は不明であるが、前身は真言宗の善福寺であった。その後、臨済宗に改宗して江戸初期(1689)に現在地に移転。昭和7年に安国寺に改名する。庭園「石林園」は本寺二世の列堂和尚が自ら作庭され、江戸初期の最後のころに完成している。
国指定名勝の大名庭園「衆楽園」から車で5分程のところに日本庭園史大系(著:重森三玲)に紹介されている古庭園が残されている。
本堂と客殿の北庭に造られた石林園は東西に穿って池泉を設け、中島には石橋を渡している。
石林園のハイライトは大量の石で構成されたエリアである。ただ分かりにくいため図解してみる。
図解するとまずは山畔から手前に向かって出島を造り、後述するが出島には亀頭石を設けることで亀出島としている。その西側には滝石組、そして滝頂部には蓬莱石、蓬莱石の下部には洞窟石組を設けている。
亀出島に注目すると長石を斜めに置き、亀の頭に見立てた亀頭石としている。
滝石組は上部の石が崩れてしまっているのが残念。左奥の立石は蓬莱石に見立てている。
蓬莱石の下部にある洞窟石組。小さく目立たない存在であるが、作庭した和尚の作庭レベルが高かったことを伺いしれる要素でもある。
東西に穿った池泉を眺める。東部は山畔の斜面となっている岩盤を取り入れている。
中島に渡した石橋は手前は直線で、奥はやや反っている。そして護岸石組沿いには置き灯籠を配置している。
池泉東部から撮影。出島には岬灯籠を置いており、この岬灯籠により景がぐっと締まる。
最後に池泉西部から撮影。各地の寺院庭園を巡っていると、本堂や客殿北側に庭園を設けていることに気づく。寺院への参拝後に伽藍の北側に足を伸ばしてみると、思わぬ庭園と出合うかもしれない。
○ | 護岸石組に設けた2つの洞窟石組、池泉東部の岬灯籠など目立たないが細部にこだわった庭園である。 |
× | 滝石組が崩れたままになっている。 |