出雲文化伝承館が平成3年(1991)に完成した歴史文化施設。独楽庵は桂離宮整備懇談会委員を歴任し、名古屋の白鳥公園にある茶室「清羽亭」などの作庭に携わった中村昌生によって監修。松江藩松平家7代藩主で江戸時代を代表する茶人でもある松平不昧公(松平治郷)が江戸大崎の下屋敷に作庭した露地を復元している。
出雲市の公開されている庭園をほぼ取材しましたが、そのなかで最も感動的だったのが独楽庵。感動のあまり4周もしている。1枚目は前庭から外露地の露地門を撮影。こちらの2枚目は前庭から、外露地、中露地を貫くように撮影。
外露地を撮影。独楽庵は外露地・中露地・内露地をもつ三重露地であるが、案内版には「三関三露(さんかんさんろ)の露地庭」と表記されている。現地で確認すると「三関三露の関は門、露は露地。監修した中村昌生が独自につくった言葉」とのこと。右手には袴付(はかまつけ)という部屋がある。三畳半ほどの広さで衣装を整て、お湯をいただく。本格的な茶事で客人が最初に寄りつく場所で、これまで見学した露地で袴付と出合ったは初めてである。
外露地の下腹雪隠(したばらせっちん)。雪隠とはトイレのことであり、露地にある砂雪隠は飾りのものであるが、下腹雪隠は実際に利用できるものである。灯籠は龍安寺型石灯籠の隣には、とても蹲踞(つくばい)があり、手洗い用であろう。とても低く据えてあり、後述する中露地の腰掛待合と同様に謙虚な気持ちにさせるためだろう。
中露地に進むと、中露地と内露地を繋ぐ中潜(なかもぐり)がある。中潜とは露地のなかに置かれた中門であり、考案者は諸説あり、茶人・古田織部とも茶人・金森宗和ともいわれる。実際に出入りできる中潜としては兵庫県赤穂市の国指定名勝・田淵氏庭園や、愛知県碧南市の哲学たいけん村 無我苑などでみられる。
中潜りから内露地を撮影。
中潜り付近から中露地を撮影。右側の門が外露地への中門。右側が内露地へ続く苑路への中門。左手には砂雪隠、腰掛待合となり軒高は165cmと低く謙虚な気持ちにさせる工夫がされているとのこと。
内露地からパノラマ撮影。左に中潜りがみえる。中の島を取り囲むように枯れ流れを設けている。写真中央の右手にみえるのが「利休席」、「船越席」、「泰叟席(たいそう)」の三席が組み合わさった茶室となっている。写真でみえているのは、「船越席」である。船越とは古田織部、小堀遠州らに師事した茶人・船越永景(伊予守)好みの茶室であり、江戸初期の茶室を復元。
船越席から眺めた内露地。
中の島は枯流れに囲まれている。特筆したいのが護岸石組の高さが均一になっていることだ。天端(てんぱ:石の上面)が平らな平天石(へいてんせき)を、これだけ集めるだけでも大変なものである。
蹲踞(つくばい)と枯流れを組み合わせた意匠。
利休席「独楽庵」。利休が豊臣秀吉から名橋といわれる淀川にかかる長柄(ながえ)の橋杭を譲り受けて、宇治に建てた桃山時代の茶室である。
泰叟席「苔香庵(たいこうあん)」は裏千家六世・泰叟好み。
独楽庵に隣接した場所にある茶室「松籟亭(しょうらいてい)」。独楽庵同様に中村昌生によって設計された茶室で、お茶をいただきながら露地を鑑賞できる。
独楽庵の案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 大名茶人・松平不昧公が下屋敷に作庭した三重露地を復元しているが、露地の要素が全て詰まっており、全てのクオリティが高い。 |
× | 特に見当たらない。 |