初代県庁館は令和4年に開業した「兵庫津ミュージアム」の施設。兵庫津(ひょうごつ)とは平安時代に平清盛が貿易のために整備した漁港。江戸時代には兵庫津に役所が置かれ、明治維新期には初代・兵庫県庁として利用され、初代県知事として、後の内閣総理大臣となる伊藤博文が就任。初代県庁館は初代・兵庫県を復元しており、 庭園は兵庫県小野市の植源田中造園によって作庭。
三宮から電車と徒歩で15分ほどの場所にある兵庫津ミュージアムの初代県庁館。庭園は復元ではなく、令和に新規にデザインされたものであるが、神戸市内では数少ない本格的な枯山水である。
枯山水には5つの中島を設けている。学芸員に庭園の意図について伺ってみたところ、「武家屋敷の座敷に面した接遇の場としても用いられる庭であること、当時の庭園には神仙思想に基づいた蓬莱形式が用いられる事例が多いことから、枯山水の蓬莱式庭園を採用した」とのこと。神仙思想とは、中国古来の神仙を信仰し不老不死などを願う世界観であり、兵庫県の5つの地域である摂津(神戸・阪神)、播磨、但馬、丹波、淡路に見立てている。写真中央の大きな中島は蓬莱山、三尊石組となっている。
蓬莱山の東側にある中島は鶴島となっている。また右手の蓬莱山手前の岩島は夜泊石と呼ばれるもので、これは蓬莱へ向かう集団船(宝舟ともいう)が、夜のうちに船溜まりに停泊している姿を抽象的に表現している。代表的な夜泊石としては、宗隣寺 龍心庭(山口県宇部市)や養翠園(和歌山市)などが挙げられる。
一番北側にある中島はシンプルな二石組であるが品を感じさせる。
蓬莱山右手の中島は亀島。亀島手前の岩島は舟石であり、不老不死の妙薬があるとされる蓬莱山へ向かう入船を表現している。さらに驚くこととして、蓬莱山、鶴島、亀島で三神山を表現しているのである。鶴島を方丈、亀島を瀛州(えいしゅう)に見立て、古代中国において仙人が住むという東方の三神山である蓬莱山・方丈・瀛州を表現しており、実に奥深い枯山水となっている。
六甲御影石の沓脱石はから灯籠へ向かって飛石を打ち、灯籠のある出島の奥には5つめの中島がある。直線状に折れ曲がった砂利は砌(みぎり)と呼ばれ、軒下からの雨滴を受ける役目をもっている。砌は石だけではなく、炭が敷かれることもあり、例えば山口市の山水園でみられる。
外縁と枯山水。白砂は県内の市川砂利を利用。園内の石は四国産の自然石を多用している。これは兵庫津は古くからの交易港であり、 各地の名石を取り寄せることが容易であったと推定できることから、このような選定になっているとのこと。
中島にはスナゴケ(砂苔)が使われている。これは日当たりが強く、かつ潮風を受けやすい立地であることを考慮してスナゴケを利用しているとのこと。
額縁庭園を撮影。本庭園は明治34年に描かれた絵「神戸覧古」から背丈の高い庭木が見えるが、今後大きく成長することを見越して低めのものを採用しているとのこと。将来的には塀の奥にみる建物が見えなくなれば、言うこと無しの空間になるだろう。
知事執務室に隣接した場所にある手水鉢。
目線を落としてみることで石組や中島の美しさが際だつ。
初代県庁館 案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 5つの中島で兵庫五国を表しつつ、中央の3島で神仙思想を表した奥深い本格的枯山水。 |
× | 枯山水の背景に電線や雑居ビルが目についてしまう。今後大きく成長することを見越して低めのものを採用しているとのことなので気長に待ちたい。 |