臥龍山荘の地には、安土桃山時代に伊勢津藩の第11代藩主・藤堂高虎の重臣である渡辺勘兵によって造れらた庭園があり、大洲藩3代藩主・加藤 泰恒(かとう やすつね)によって庭園が整備された。その後荒廃するが明治後期に貿易商の河内寅次郎が整備したものが現在の臥龍山荘となる。令和3年(2021)に国指定名勝庭園となる。
訪問の1年前に国指定名勝庭園となった臥龍山荘庭園。紅葉シーズンの日曜日だけあり、ひっきりなしに観光客が訪れる。人が捌けた瞬間を狙ってリズミカルに撮影をこなしていく。まずは崖に建てられた数寄屋造りの庵「不老庵」。
「不老庵」から見下ろす一級河川の肱川(ひじかわ)に目を奪われる。そして「不老庵」の天井にも注目したい。湾曲した天井は竹網代張り(たけあじろばり)となっており、湾曲したところに月の反射を照らす仕掛けになっている。
不老庵は対岸から眺めるとそのロケーションの素晴らしさを再確認できるのでお薦めだ。右手の岩山が蓬莱山とされ、かつては臥龍山荘と吊り橋で繋がっていたそうだ。また蓬莱山が龍の臥す姿に似ていることから臥龍山荘と名付けられている。
臥龍院からの二方向の額縁庭園を撮影。写真に映っている「壱是の間」は立ち入り禁止のため、隣の「清吹の間」から撮影。
庇からの雨水が跳ねてしまうことを防ぐため、軒下に小石や炭を埋め込む工夫はよく見られる工法であるが、こちらでは白や紫の小石を比較的幅広に敷いている。また、臥龍院から不老庵までは様々な意匠の飛石や延段で導かれている。
石臼などを交えた切石と自然石が混ざった「行」の延段。
かつて浴室だった建物を昭和24年に茶室に改造した「知止庵(ちしあん)」。
奥に見えるのが「不老庵」であり、左手には笠に巨大な自然石を乗せた石灯籠を配置している。
臥龍山荘で最後に紹介したいのが見事な石積みである。「乱れ積み」「末広積み」「流れ積み」とい手法は公式サイトで知った知識であるが、隙間なく積み上げた繊細さに驚く。
日本庭園としては見どころは少ないが、遠方から訪れてみる価値のある場所であることは確かだ。
臥龍山荘マップ(パンフレットより引用) [ 案内図を拡大する ]
○ | 石積み、苔庭に敷かれた延べ段、そして崖に立つ不老庵と紅葉シーズンでなくとも見どころ豊富。また、対岸から肱川越しに眺める不老庵も美しい。 |
× | 特に見当たらない。 |