愚溪寺は室町時代(1396)に創建された臨済宗妙心寺派の寺院。開山(初代住職)は義天玄詔(ぎてんげんしょう)であり、修行道場として開いた愚溪庵が始まり。創建当初は現在地から徒歩15分ほど山中にあり、七石による石庭を作り、今も七石は残っている。その後、江戸後期に現在地に移転されて、江戸時代に新たに作庭されたのが 臥竜石庭である。本庭は龍安寺の石庭のモデルになっているとも推測されている。
特別名勝「龍安寺 石庭(京都)」のモデルとなったとも推測される愚溪寺 臥竜石庭。当日は運良く、住職に案内いただいたので解説していく。
まず愚溪寺が龍安寺石庭のルーツと推測しているのは、住職の考えであり「開山が共に義天玄詔」「7石の石庭が当初作庭された」ことから来ている。また愚溪寺の創建は1369年、龍安寺石庭の作庭時期は1619年~1680年と推測されていることから時代の流れも食い違わないので、推測の域をでないがロマンがあり良い。
創建時は7石であったが、移転後は3石と松を配している。7石で龍が横たわる姿を表現していたが、3石となった石は龍を想像する必要はなく、島でも自由に想像して欲しいとのこと。
また移転当時は白砂敷きではなく芝に石を置いていた。昭和になって白砂敷きとして砂紋を描くようになったとのこと。
本庭園で興味深いのは石庭の奥に、もうひとつの枯山水庭園を造っていることだ。このような地割りは初めてみるものだ。
立石が多く見られるが、これは立石を観音に見立てている。観音に見立てた立石は33石あり、33石の観音を巡ると西国三十三所を簡易的に巡ったことを味わえるようにしている。
白砂敷きの石庭と、三十三石の枯山水は白砂で繋がっている。
かつては三十三石の枯山水は誰でも散策できたが、怪我された方がいたため現在は立ち入りできない。ただ今回は住職の計らいで入園を許可いただいた。
この枯山水は縮景庭園となっており、琵琶湖を模しているとのこと。写真が琵琶湖を北西から眺めた構図であり、左の岩島が竹生島で、奥には唐橋を渡している。
瀬田川に架かる唐橋を南側から眺める。ちなみに、瀬田川に架かる唐橋は「瀬田の唐橋」と呼ばれ、宇治橋、山崎橋(京都)と並ぶ日本三古橋である。
非公開の枯山水から石庭と本堂を望む。
○ | 石庭と三十三石の枯山水が同居した風変わりな庭園。砂紋の汀の処理が美しく見逃せない。 |
× | 特に見当たらない。 |