原鹿(はらしか)は屋敷の所在地名。本屋敷は島根県で7番目の豪農であった江角家(えずみ)のもので、明治31年(1898)に建築されたものである。庭園は京都から招いた松江藩7代藩主・松平治郷(はるさと)、通称「不昧公」のお抱え庭師・沢玄丹によって作庭されたと伝えられ、1700年代後半に作庭されている。つまり、屋敷よりも庭園の方が古い歴史をもっている。
江角家の庭園は出雲に2ヶ所残されており、坂田江角家は出雲文化伝承館(旧江角邸)で保存、そして原鹿江角家は本記事で紹介する屋敷である。
出雲流庭園の特徴は季節風を防いだりする築地松(ついじまつ)が植えられた敷地に砂を敷き詰めた枯山水を造り、築山は石組は控えめ、そして巨石による短冊石や踏分石、やや高く据えた飛石などである。この様子は新屋敷の二階から一望でき、築地松は写真右手にある巨木である。
踏分石とは分岐点となる石であるが、左手にある巨石は分岐点ではないがひときわ大きい。そして短冊石は長さ4.6m、幅30cmの御影石で日本最大級で、巨石を中国山地から切り出して運んでおり江角家の財力を感じる。
新座敷の2階からの眺め。庭門から飛石を50メートルほど進んだ場所には、かつて茶室があった。
沓脱石も巨石。出雲流庭園では石灯籠に来待石(きまちいし)が使われることが多く、宍道湖の南岸に分布する凝灰質砂岩(ぎょうかいしつさがん)である。江戸時代には、来待石は「御止石(おとめいし)」と呼ばれるようになり、藩外へも持ち出しが禁止されていた。このような来待石は松江市にミュージアム「来待ストーン」もあるぐらいだ。
右手に築地松(ついじまつ)。
枯山水は散策できるので、石短冊や踏分石の大きさを体感してみよう。
出雲流庭園では石組が控えめであるが、三尊石は確認できた。写真は三尊石と短冊石。
書院から額縁庭園を撮影。取材日は雨天であったが、屋敷や築地松に囲まれた庭園は雨天や曇り空のほうが影による明暗がなく写真撮影しやすい。
窓ガラス越しの出雲流庭園。
出雲流庭園の大半は無料開放されており、気軽に庭園に触れて欲しいという出雲市の気持ちが嬉しい。どの庭園も落ち着ける空間であり、休憩スポットして立ち寄ってみれば良い旅の想い出になるだろう。
○ | 出雲流庭園を上から眺められる唯一のスポットであり、出雲流庭園を理解するにはお薦めである。 |
× | 特に見当たらない。 |