医光寺の前身である崇観寺(すうかんじ)は室町時代(1363年)に創建。室町中期に雪舟が住職として招かれたときに作庭された雪舟庭園が残される。その後、崇観寺は戦国時代に荒廃したが、室町時代後期に医光寺と合併して現在に至る。1928年に国指定名勝を受ける。
島根県益田市は水墨家にして作庭家でもある「雪舟」ゆかりの地であり、同市の医光寺や萬福寺に山水庭園を残し、晩年は益田市で生涯を終えている。医光寺は、雪舟が住職として招かれた寺院でもあり、中世(鎌倉・室町時代)の庭園が残る貴重なものである。
池泉に造られた亀島。★が亀頭石であり▲が亀の前足だろうか。▲の右上の大きめの石が亀甲石(きっこうせき)、そして赤線で囲まれた2石は蓬莱石組と記されていた。蓬莱石組とは、中国の神仙思想で、人の近づけない絶壁を表現している。雪舟が中国での修行から帰国後、医光寺で住職となったことより、このような中国の神仙思想が表現されたのであろう。
亀島右手を眺める。赤線で囲まれた出島が鶴出島と記され、右下の★印にある亀島と向かい合うように据えられている。また、中央上部の▼が遠山石(須弥山石とも表現される)で、遠くに山を見立て庭園に奥行き感を表現している。さらに、遠山石と鶴出島を結ぶ急峻な斜面には、枯滝石組が表現されている。
遠山石から枯滝石組のエリアをクローズアップ。
鶴出島をクローズアップ。
亀島から枯滝石組までを望む。
本堂の座敷から額縁庭園を撮影。18mmの超広角レンズで撮影。Nikon D850 + Carl Zeiss Distagon T* 3.5/18
亀島をクローズアップ。焦点距離70mmでシャッター速度1/80secだったこともあり、どうもシャープさに欠ける。一般的には「1/焦点距離 = 手ブレしないシャッター速度」といわれているが、もう少し早いシャッター速度のほうが安全のようだ。曇り空のときは、ISO400~800まで高めるがベストではなかろうか。
受付から本堂に向かう途中から撮影。中央にある少し山型に尖った石は蓬莱石と表記されていた。既にこの記事で紹介している蓬莱石組の単一石を「蓬莱石」と呼び、表現している意味は同じである。
庫裡(くり)から雪舟庭園を眺める。庫裡:寺の住空間のひとつで、近年では事務に使われることが多い。庫裏も同意語である。
本堂西端から雪舟庭園を眺める。画面右より上部には「しだれ桜」がみえる。さらに左手前は秋になると紅葉が色づくようで、春や秋にも訪れてみたくなる。
最後に亀島を撮影して、同じく雪舟庭園のある萬福寺に向かう。
○ | 中国で修行をした雪舟が、中国の教え「神仙思想(不老不死を祈念)」を表現した名庭。本堂のスピーカーやパンフレットなどで庭園の意図を詳しく紹介しているのも有り難い。 |
× | 特に見あたらない。 |