鎌倉幕府の将軍補佐・北条時頼が建長5年(1253)に開基、中国から渡来した僧・蘭溪道隆(らんけい どうりゅう)が開山。臨済宗建長派の大本山である。現在の庭園はは、江戸初期に描かれた絵図に基づいて、平成15年(2003)に復元整備されたもの。また、臨済宗の寺院を格付けをする制度で京都と鎌倉にそれぞれ五山があり、1386年に室町幕府3代将軍・足利義満の時に、建長寺は鎌倉五山一位に指定される。(開基:資金提供者、開山:初代住職)
蘸碧池(さんぺきち) を中心した方丈庭園であり、庭園要素を解説していこう。
まずは護岸石組で囲まれた亀島。左の立石が亀頭石、背に中心石を据えて、長寿のシンボルである松を植樹している。中心石:鶴島や亀島などの中心部に置かれる石
亀島の奥には枯滝石組らしき意匠がみられる。「名園のみどころ(河原武敏)昭和58年発行」の見取り図に記載がないため、近年付け加えられたものである。
松の手前に鶴島があり、左手に蓬莱山に見立てた蓬莱石を据えている。蓬莱山とは不老不死の仙人が住む山とされ、長寿の象徴である鶴亀とセットで用いられることが多い。このような形式の庭園を蓬莱式庭園とも呼ばれる。
築山には、昭和の頃は三尊石風に作られた枯滝石組があったが、取り除かれてしまい、枯滝石組として識別できなくなっている。
複雑な汀線(ていせん)が眺めれる、この角度からが最も美しい。汀線:陸地と水面の境目
出島の先には亀頭石風の石が見られる。また平成28年頃(2016)までは橋が架かっていた。復元されず撤去されたままであり残念。
池泉西部を望むと、若干の石組が残されている。
建長寺を開山した蘭溪道隆(らんけい どうりゅう)により作庭。当初の姿から変わってしまっているものの美しい景観である。
建長寺 境内図。広大な敷地であることがよく分かる。 [ 案内図を拡大する ]
○ | 由緒ある古刹で、池泉東部の汀線が美しく、池の地形が京都の名園・天龍寺に似ているところもある。 |
× | 後世の改修により枯滝石組が失われてしまい、また近年は橋が取り除かれてしまっているのが残念である。 |