旧楠本正隆屋敷は幕末に活躍した政治家・楠本正隆が明治3年(1869)に建築した屋敷である。庭園も同時代に作庭されたもので、ほぼそのままの形で残されている。
長崎県を代表する名園と考えている国指定名勝庭園の旧円融寺庭園から徒歩3分ほどの場所にある旧楠本正隆屋敷。屋敷からはもちろん、園内の路地を散策して庭園を楽しめる。
主屋と渡り廊下で結ばれた別棟の離れから庭園を眺められる。取材時は水が抜かれていたが、公式サイトなどを確認すると通常は浅く水が張られているようだ。
別棟の離れから撮影。縁側には縁先手水鉢が置かれ、軒先から滴る雨水で地面がぬかるまないよう砂利を敷いている。
池泉には3つの中島を配している。主屋に近い2島は石組の配列から亀石組と鶴石組にみえる。そして生け垣沿いには滝石組を蓬莱山と見立て、全体として長寿を願う鶴亀蓬莱式庭園とも感じとれる。ただ係の方に伺うと、鶴亀の話は特に聞いたことがないとのこと。
庭園内を散策してみれば、亀石組にみえるような石組である。
池泉は入り組んだ形状で、主屋からみて奥にある島には木橋と石橋を架け、飛石を渡って園内を廻遊できる。
飛石を進むと小さな東屋がある。
離れの壁際には近年設置されと思われる織部灯籠を置いている。竿の部分にキリスト像が彫られ、竿上部が膨らんだ形状にまっているのが一般的で古田織部によって考案された。 キリシタン灯籠とも呼ばれ、江戸時代初期にキリスト教禁止令のなか密かに信仰を続けていた隠れキリシタンの信仰物といわれる石灯籠である。
滝石組はコンパクトながらも見るべき要素が多い。まずは頂部は先ほど蓬莱石と推測した石であり、三尊石風に組まれている。そして苔付いた水落石で、そしてやや水流を感じさせる岩肌をもった水落石と二段落としになっている。滝には薄い板石を渡しており、玉澗流を思い起こされるような意匠だ。滝上部に石橋を渡す手法を玉澗流(ぎょっかんりゅう)と呼び、これは安土桃山時代に作庭家・上田宗箇(うえだ そうこ)によって生み出され、宋の有名な水画家・玉澗の山水画がモチーフとなっている。玉澗流の代表例といえば、和歌山市の粉河寺庭園が挙げられる。
再び主屋から撮影。庭園の細部を観察したあとに、座敷から座観式で庭園観賞を行うと初見では気づかなかったポイントに眼がいくため、私はこのような書院の2度観賞を行うことが好きである。撮影も終わっているので、心落ち着いてゆっくり眺められるというのもいい。
最後に座敷からW額縁庭園を撮影。書院、その外側に通路を兼ねた畳敷きの空間、そして外縁と3重構造により額縁庭園にも奥行き生まれる。
○ | 蓬莱山を彷彿させるゆおな滝石組、そして土地の傾斜に沿って斜めになった生け垣により立体感のある庭園を演出している。 |
× | 特に見当たらない。 |