渉成園は東本願寺の飛地境内地にある国指定名勝庭園である。徳川家康から東本願寺に寄贈された土地に、詩仙堂などの庭園を作庭した武将・石川丈山によって江戸初期(1653)に渉成園を作庭した。生垣にミカン科の枳殻(からたち)を植えたことで枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれる。
京都駅から地下道を通って、地上を歩くこと3分で到着する国指定名勝庭園「渉成園」。「訪問は初めてですか?」と聞かれ「はい」と答えると、オールカラーの全25ページの立派なカタログを頂いた。数多くの庭園を巡ったが、これを越えるパンフレットに出合ったことがない。さて、まずは閬風亭(ろうふうてい)から印月池を望むが、庭園よりもマンション群が目についてしまうところが残念である。
さて詳細をみていこう。まずは印月池に浮かぶ大きな中島は蓬莱島であり、「南大島」や「臥龍堂」とも呼ばれている。ちなみに元は前方後円墳とも言われている。蓬莱島:不老不死の仙人が住むとされる伝説上の山
「名園の見どころ 著:河原武敏」によると、蓬莱島の北部には頂部の蓬莱石を中心とする四重の集団石組になっている。この辺りに意匠は東京の国指定名勝庭園「旧芝離宮恩賜庭園」と似ていると感じた。
こちらは鶴島であり、中央の中心石は羽石だろうか。池泉正面からは蓬莱島と重なり隠れてしまうが、かつて舟に乗って庭園を楽しむ舟遊式であり、舟から島を眺めたのだろう。
こちらは亀島。九重の石塔は平安時代の貴族・源融(みなもとのとおる)の供養塔である。
舟が通れるようになっている侵雪橋(しんせつきょう)。その奥には京都タワーがそびえる。
侵雪橋を渡って2つめの大きな中島となる「北大島」へ。入江のような地割りに石橋を架け、築山には明治17年(1884)に再建された茶室「縮遠亭」がある。
入江には洞窟石組が造られている。洞窟石組とは不老不死の仙人が住む洞窟があるとされ、それに見立てた石組である。室町時代以降の桃山時代には洞窟を模した庭園が多く造られているが、江戸時代中期以降は余り見られない。
茶室「縮遠亭」は改修中であり近づくことができなかった。
縮遠亭の立つ築山の北麓にある「塩釜の石組」。奥に井筒があり、その形が塩を製造する塩釜とそれを屋根で囲う塩屋に似ていることから「塩釜の石組」と呼ばれている。かつては茶事で使う水源でもあったが、現在は涸れている。
明治17年(1884)に再建された回棹廊(かいとうろう)は、かつて朱色の欄干を持つ反り橋だったとも。
臨池亭と滴翠軒(てきすいけん)に囲まれた池泉庭園であるが、復旧工事のため水が抜かれていた。
最期に印月池の護岸に注目してみた。汀に沿って丸太を打ち付けた杭列護岸が、なんと二段構成になっている。このような意匠は初見である、よく観察しないと気づかないところに工夫が施されていて美しい。
渉成園の案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 蓬莱山の四重石組や、石組洞窟、2段構成の杭列護岸など見どころが多い。 |
× | 借景の正面にマンションが入り込んでしまう。 |