宗雲寺は室町時代(1423)に現在地に常喜寺として創建。安土桃山時代(1582)に松井康之が松倉(久美浜)城主の菩提寺となり、南禅寺聴松院より玄圃霊山(げんぽれいさん)を招き中興し、現在の宗雲寺と改名。本堂裏の庭園は本堂などが再建された江戸時代に作庭されたと考えられており、昭和59年に京都府指定文化財に登録。本堂前の枯山水「十六羅漢の庭」は、西本願寺滴翠園や高台寺の庭園整備に携わった庭園文化研究所長である村岡正によって平成元年(1898)に作庭、地元の造園会社「峰山庭園」によって造られた。
京都最西部にある庭園「宗雲寺庭園」は、京都府指定文化財に登録された池泉観賞式庭園が残されている。鳥対策で鉄格子が池に置かれているのは、大変残念である。
石組の頂部にある立石が蓬莱石(現地案内板には守護石と表記されていた)を置き、周囲に多数の石組で築山を表現、そして心字池を配している。
少し高い所から本堂(右)と庫裏(左)を撮影。写真左奥には滝口の痕跡もみられるようで、かつては現状より広い庭園だったことが伺える。
正面から眺めると集団石組のようにみえるが、こちらから観賞すると二重護岸石組のようになっている。同様の意匠は滋賀県野洲市の兵主大社(兵主神社)で見られるが、本庭園のほうが規模は小さいが石組が力強く美しい。
出島の意匠も豪壮。このような場所に置かれた石灯籠はバランスが悪いことが多いが、本庭園では不思議と違和感がない。
出島と護岸石組の美しさを感じて欲しい。
亀島のような石組にもみえる。その奥にある立石が蓬莱石である。
先ほどの亀島に見えたところを上部から観賞すると、亀島のようには見えない。視点を変えることで、石組などの見え方が変わるのも、庭園鑑賞の楽しみ方の一つである。
続いて本堂前に作庭された近代庭園。十六羅漢の庭と呼ばれ、石ひとつひとつを羅漢に見立てている。羅漢とは「尊敬・施しを受けるに値する人で、修行の回収に四段階を設けて、その最高峰であり、もはや学ぶことのない人の称号」である。
そして、この枯山水は釈迦の説法を学ぶ、弟子の厳しい修行の姿を羅漢で表現しているとのこと。
十六羅漢の庭と本堂。
正門前には幾何学的な池泉がある。
○ | 二重護岸石組を持つ小さくとも品格と豪壮さを兼ね備えた池泉庭園。 |
× | 池泉庭園に鳥よけの格子が置かれていた。 |