兵主大社は奈良時代に創建されたと伝わり、滋賀県でも有数の古社である。祭神は大津市の日吉大社から亀に乗って琵琶湖を渡り、鹿に乗って神社に来られた伝わる。庭園は平安末期とされ、昭和28年に国指定名勝をうける。正式名称は兵主神社。
社務所で受付を済ませて、拝殿横の扉から庭園に入る。18mmの超広角レンズで入りきらないため2枚の写真をパノラマ合成している。また、この角度からは分からないが、2つの出島は平行しており池泉は複雑に入り組み美しい姿をみせてくれる。
東の出島は石組が多く、野筋と呼ばれる低い築山が作られており、景の中心となる出島である。
注目したいのが護岸石組だ。水際と中腹に石組を配列した二重護岸石組となっている。違うタイプの二重護岸石組の例として青岸寺(米原市)がある。また野筋の頂には蓬莱石にも遠山石(えんざんせき)にもみられる立石があるが、私は蓬莱石と推測する。その理由は次の写真で説明する。蓬莱石:不老不死の仙人が住むとされる山に見立てた石。遠山石:遠山を抽象的に表現したもの。
別角度から東の出島を撮影。写真上部の赤色の▼マークが蓬莱石とみられる立石。緑色の2本のライン沿いの石組が二重護岸石組となる。さらに、池泉内側にある赤線沿いの3石が夜泊石(よどまりせき)となる。夜泊石とは、不老不死の妙薬を求め蓬莱山へ向かう宝船が夜停泊している様子に見立てている。それがゆえに▼マークの立石が蓬莱山と推測した理由である。
蓬莱石とみられる立石で美しい意匠である。
西の出島を撮影。
西の出島奥。写真右手に枯滝石組がある。
先ほどの枯滝石組を別角度から撮影すると、階段状の意匠であり上部に滝石を据えている。
東の出島と西の出島の間を撮影すると、2つの出島が平行になっているのがわかる。その奥の左が北の出島となる。北の出島と円形の中島は石橋で繋がっている。
石橋越しに東の出島を眺める。
中島を撮影すると、石橋は3つの橋で成り立っている。この中島は、祭神である八千矛之神が大津市の日吉大社から亀に乗って琵琶湖を渡り、鹿に乗って神社に来られた伝わることから起因したものであり亀島ともされる。
池泉東部には土橋が架かり、流れが作られている。
楼門前に愛車と撮影して兵主大社をあとにする。知られざる国指定名勝であり、見応えのある池泉回遊式庭園だった。
兵主大社の案内図
○ | 3つの出島と中島により池泉が複雑で美しい姿を見せてくれる。また夜泊石や二重護岸石組など様々な庭園の要素を楽しめる。 |
× | 特に見あたらない。 |