萬福寺の前身は、平安時代に「安福寺」として建立されるが大津波で流出。その後、道場として再興され、室町初期(1374年)に益田七尾第11代城主により現在の地に萬福寺として移築。室町中期(1479)に雪舟により石庭が造られた。
島根県益田市は水墨家にして作庭家でもある「雪舟」ゆかりの地であり、同市の萬福寺や医光寺やに山水庭園を残し、晩年は益田市で生涯を終えている。萬福寺庭園は仏教の世界観である「須弥山(しゅみせん)世界」を象徴した石庭である。
中央最上段にある石が「須弥山石」が中心石となり、築山にみられる集団石組と組み合わせて「須弥山石組」を表現している。須弥山石の直下には「不老石」、右手中段にある表面が平らな石は「座禅石」と記されている。
庭園右手は木々により暗くなっており、枯滝石組がみられる。写真では分かりやすいように明るくみえるように処理している。また、写真中央上部にある立石は「蓬莱石」である。蓬莱石とは、中国三大宗教のひとつ「道教」の蓬莱神仙思想であり”仙人を信じた不老不死の世界を表す石”である。また須弥山は、中国三大宗教のひとつ「仏教」の思想であり”世界の中心となる石”を表す。
萬福寺の解説によると、4つの石で橋を抽象的に表現している。もちろん実際に橋が存在したわけではなく、心で橋を想像するという禅の教えからきているものである。
書院から須弥山石を正面に眺める。赤線が橋に見立てる石であり、一番手前の薄い平らな石が礼拝石となる。礼拝石:庭園を見渡すビューポイント
本堂裏手から心字池を眺める。
庭園左手は平坦に造られ、右手にある枯滝石組と比較するとかなり明るい領域である。明暗と巧みに使い分けた庭園であり、この明るさの焦点になっているのが三尊石(▲)である。●は礼拝石。★は君臣石と記されているが意図は分からなかった。
三尊石と君臣石をクローズアップ。この場所からだと三尊石であることが分かりにくいので、
別方向から三尊石を撮影。なるとほ、切り立った力強い三尊石であり、中世(鎌倉・鎌倉時代)の庭園に相応しいものである。
須弥山石組をクローズアップ。
超広角レンズ(18mm)で心字池全体を撮影。護岸石は隙間なく組まれており、また気品がある。
書院から撮影。須弥山石の直下にある左に尖った不老石と、上部が右に尖った須弥山石は、正面から見ると互いに引っ張りあいつつもバランスが取れている。
最後に額縁庭園を撮影。おばちゃんの解説が大変流暢で興味深い。禅の庭園を理解するうえで大変参考になる話であり、心して話に耳を傾けて欲しい。
○ | 植栽が刈り込まれることで石庭が引き立てられ、築山の須弥山石組の抽象的な石組の表現が見事である。また庭園の左右で明暗が使い分けられている意匠も面白い。 |
× | 特に見あたらない。 |