戦国大名の朝倉氏が5代にわたって約100年間も越前の国を統治した城下町跡「一乗谷朝倉氏遺跡」。遺跡全体が特別史跡に指定されており、敷地内にある4つの庭園(義景館跡庭園/朝倉館跡庭園、湯殿跡庭園、諏訪館跡庭園、南陽寺跡庭園)が1991年に特別名勝に指定。武家の庭園はことごとく失われ、発掘庭園であるが大変貴重なものである。本記事で紹介する南陽寺跡庭園は、室町後期に当主が朝倉貞景(さだかげ)のときに創建された。
一乗谷朝倉氏庭園には4つの国指定名勝庭園があるが、南陽寺跡庭園まで巡る人は少ない。かく言う私も初めて訪問したときは、案内図で存在は知っていたが行きにくそうでパスしていた。4年後に再訪したが、実は簡単にアクセスできる方法があったので、最後に紹介する。南陽寺庭園は枯山水にみえるが、草で隠れてしまっているが枯池があり、かつては池泉庭園であった。
南陽寺跡庭園で主石となるのが中央の立石であり、実は枯滝石組を構成する滝添石である。
少々分かりにくいので別角度から撮影すると、枯滝石組であることが分かるだろうか。次に図解してみる。
図解する。複数の滝添石で挟まれ三段落としの枯滝石組であり、枯池には水分石を配し、水を左右に分けている。そして滝添石の右手には蓬莱山に見立てた蓬莱石を置いている。
写真左側の巨石は、対岸の枯滝石組と相対している。
相対する巨石はL字型になっており、1石で小振りな滝のようにもみえる。
枯滝石組の滝添石は眺める場所に様子が変わり、いずれも力強く美しい。
南陽寺跡庭園は、湯殿跡庭園から山側からアプローチできるが看板などもなく不安になる。そこでお薦めしたいのが、一度遺跡から降りて向かうルートである。地図をみると北側から登山道があることが分かり、民家に挟まれた間にある登山道を登れば迷うこと無く、わずか2分で到着できる。登山道もうっそうとしておらず、外の景色を眺めながら登れるので安心だ。
一乗谷朝倉氏庭園の案内図。南陽寺跡庭園への行き方は、地図に青矢印を記載。 [ 案内図を拡大する ]
○ | 南陽寺の書院庭園であり、他の2ヶ所と比べるとコンパクトであるものの滝添石の力強さにより、全体的に豪壮な池泉観賞式庭園になっている。 |
× | 草が伸びきっており、枯池の状態や枯滝石組の水落石の状態が分かりにくい。水落石:滝水が滑り落ちる石 |