石見地方の豪族であった小川家は、古くは海岸地域を領有していた。その小川家に残された庭園は、室町時代(1460年代)に雪舟にて作庭されたと伝わるが、諸説あり伝承の域を出ていない。庭園は島根県指定文化財に認定されている。
島根県沿岸部の各都市には古庭園が残されており、江津市にも雪舟作と伝わる池泉鑑賞式庭園がみられる。事前予約制であり、当日は資料をもとに庭園について説明を受けた。
説明が終わったあとは、庭園の周りを自由に散策できる。個人邸宅の庭園とは思えないほど整備されており、石組みを遮るような雑草などはなく、木々の刈込も完璧である。
作庭当初は池泉庭園であったが、重森三玲より保守面から水を抜いたほうが良いとのアドバイスがあり、現在は池の水は抜かれているとのこと。作庭当時は石組の中央に水路があり、上段が枯滝石組、下段が水が流れる滝石組になっていたとのこと。
写真の場所で水路を確認する。ここから撮影したのが次の1枚だ。
観賞点からは隠されて見えないが、確かに水路がある。同様の水路を持つ庭園として、滋賀県米原市の徳源院が挙げられるが、そちらはすでに水路が残されていない。
つまり、小川家雪舟庭園を図解すると写真のようになる。水路で流水を導き、水路の下部にある滝石組が水が流れ落ちる。そして水路の上段は枯滝石組となっている。
正面から撮影した写真を見ると、上段の枯滝石組は三尊石を模した配置であることがわかる。最上段が中尊石、その少し下に左右の滝添石が配されている。
最上段の枯滝石組は長方形の石で組まれており、その上には枯流れの意匠がある。
池泉の北西岸には亀頭石がある。この付近は出島となっているが、「日本庭園史体系(著:重森三玲)」によれば、かつては亀島、つまり中島と推測しており、後世になって建築のため埋められたと論じていた。
一見すると大きな滝石組に見えるが、説明を受けた上で細部に注目してみると、実に傑出した石組であることが分かる。
こちらの建物にある座敷から、山側の庭園を眺めていたが、反対側にも小さな庭があった。
三尊石や鶴石組を思わせる石組が見られるが、その意図は確認できなかった。
○ | 上下二段の滝石組で、上段が枯滝石組、下段が滝石組であった稀有な庭園が見られる。また個人庭園ながらも、よく整備されており美しい。 |
× | 特に見当たらない。 |