江戸時代の大名・大久保忠朝屋(ただとも)敷内の庭園から始まり、作庭当時は海岸に面していた。その後、離宮を経て大正13年(1924)に旧芝離宮恩賜庭園として一般公開。(離宮:皇居とは別に設けられた宮殿)
JR浜松町駅から徒歩3分。山手線に最も近い日本庭園だろう。30度を超える真夏日には数名ほどしかいなかったが、10月になると30名ほどの観光客で賑わってをみせていた。場所柄、高層ビルに囲まれた庭園であり、どの方向を眺めても借景に近代ビルが目に入る。ここでは江戸時代と現代の融合を愉しむぐらいの気持ちがいいだろう。
西湖の堤(せいこのつつみ)と中島を望む。西湖の堤とは、もちろん富士五湖の西湖のことではなく、中国の上海市から新幹線で1時間ほどの距離にある杭州市の西湖を模した石造りの堤である。
中島には蓬莱石組となっており、迫力ある石組で不老不死の仙人が住む山「蓬莱山」を表現している。
同じく蓬莱石組。築山の山頂から外側に向かって強い気勢がある。気勢:石の形や大きさや模様などからくる勢い(パワー)のことで、石を見たときに感じる見えない線となって空中にでているようなもの。
枯滝石組と書かれた札がある。一見滝に見えないが、流れの河床が苑路になっていて、山峡(さんきょう)の景観を愉しみながら散策できる。傾斜のない滝石組で、このような苑路が作られているのは極めて珍しいだろう。
滝石組の苑路から撮影。なかなか迫力ある石組だ。
枯滝石組を頭上から撮影してみる。急峻な山峡を見立てていることが分かるだろうか。
苑路の先には小田原から運び入れた火山石などからなる根府川山が見える。天に向かって力強く伸びた集団石組となっている。
根府川山をズームアップしてみると、その迫力がよく分かる。根府川山を取り囲むように苑路が設けられ、視線の移動によって石の見え方の変化を意識した造りである。
根府川山の裏手には「唐津山」がある。平地に組まれた石組であり、根府川山と比較すると控えめながら存在感はある。
もうひとつの滝石組。パンフレットに「滝石組」と記載されていたので気づいたが、そうでなければ滝組に自然と目線が合うような導線になっておらず気づきにくい。こちらも枯滝石組といってよいだろう。
滝石組を反対方向から眺める。こちらもなかなかの巨石で構成され、中央にある三角形に近い石は、この視点からだと遠山石にもみえる。
小池前で結婚式の前撮りをしていた。私同様に多くの外国人が同じように隠し撮りをしていた・・・
旧芝離宮恩賜庭園(パンフレットより引用) [ 案内図を拡大する ]
○ | 枯滝石組の流れ河床が苑路になっている珍しく、また根府川山の集団石組も見応えある。またJR山手線の浜松町駅に隣接しているという利便性も特筆できる。 |
× | 場所柄どの方向を眺めてもビルが入り込む。 |