楽々荘(がんこ亀岡)
らくらくそう(がんこかめおか)
嵯峨野トロッコ列車が走る旧山陰本線を敷設したことなどで知られる明治大正時代の政治家・田中源太郎の生家が楽々荘。庭園は植木職人7代目・小川治兵衛(通称、植治)によるもので、楽々荘が完成した明治33年頃に作庭された。平成30年(2018)に「がんこ京都亀岡 楽々荘」として運営を引き継ぐ。
入口に「どうぞ、ご自由にお庭散策をお愉しみくださいませ。無料開放」と書かれており、受付で声掛けすることで飲食なしでも庭園見学できる。和歌山市のがんこでも同様に庭園が開放されており、1日で複数の庭園を巡っている自分には大変ありがたい。
本庭園は京都市内の無鄰菴などの庭園を作庭した小川治兵衛によるものだ。小川治兵衛が手掛けた庭園の特徴は水の流れを活かした超自然的な世界観である。
パンフレットには「保津峡の絶景に見立てた池泉回遊式すり鉢状庭園」と解説されている。また、中島には鶴亀に見立てた松があるが、分かりますでしょうか?
図解すると、左が鶴松、右が亀松となっている。鶴島、亀島や鶴石組、亀石組というのは一般的であるが、鶴松・亀松となっているのは初めてだ。
奥には枯滝石組を組んでいる。滝石組の周りの植栽の生長により石組の存在感がやや薄れ、なぜか瓦が置かれているのが残念だ。
左手に書院造りの和館を望む。
飛石も大小様々で分岐するところはひときわ大きくなっている。
樹齢360年の松は庭のシンボル的存在である。食事をすれば洋館を見学したり2階からも庭園を眺められる。今回は時間の関係で食事は楽しめなかったが、食事込みでの庭園見学がお薦めだろう。
○ | 飲食店ながらも小川治兵衛(植治)の庭園が無料開放されている。 |
× | 枯滝石組周辺の植栽が豊かであるが故に石組が弱まっている。 |