無鄰菴は、明治29年に第3代、第9代総理大臣を務めた山縣有朋(やまがた ありとも)の別邸として造られた。昭和14年に京都市に譲渡され、昭和26年に国指定名勝を受ける。庭園は、山縣有朋の支持により平安神宮神苑や旧古河庭園を作庭した小川治兵衛によるもの。
母家二階の貸し切り、抹茶体験、さらには一定人数が揃えば事前予約でライトアップされた庭園を鑑賞できるなど多彩なイベントが開催されるアグレッシブな庭園。それでいて国指定名勝というのが素晴らしい。それでは、まずは茶室へ繋がる散策路を歩いて行こう。
茶室は事前予約制であるが、入り口付近からこのような写真を撮影することは可能だ。
作庭当時は芝生だったが、現在では約50種類の苔が広がる。
庭園の遣り水は琵琶湖疏水(そすい)より引かれている。とても美しい苔にはであるが、こちらは毎朝庭師が落ち葉を掃除していることで保たれている。苔も呼吸をしているため、落ち葉があることで呼吸ができなくなり枯れてしまう。そのため毎朝の手入れが欠かせないとのこと。
庭園をぐるっと巡ってきて数寄屋造りの母家に戻ってくる。遣り水には瀬落ちと呼ばれる石により段差が設けられ、水音が心地よく響く。水音は水の流れ方と落ちる音を石を隙間に置くことで調整して、穏やかな心地よい水音を生み出している。数寄屋造り:茶室風の様式を取り入れた建築
無鄰菴は池泉庭園であり、池泉の水を美しく魅せる技法である「洲浜(すはま)」もみられる。
山縣有朋は東山の景色を好み、その東山と自宅が繋がった空間になるようになることを植治に求めて作庭された。ただ時代と共に借景となる東山が見えにくくなってきた。そのため植彌加藤造園によって2014年から26年かけて選定を行っている。取材時はその途中であるが、現在は明治時代と同じ姿を取り戻している。またこの母屋では和菓子付き抹茶を頂くこともできる。
藍色の毛氈(もうせん)というのが珍しいですね。(毛氈:フェルト生地の敷物)
無鄰菴は元総理大臣・山縣有朋の指示により小川治兵衛に造らせた庭園であり、東京の椿山荘(ちんざんそう)、小田原の古稀庵(こきあん)は、山縣三名園と呼ばれているそうだ。
石橋の手前には竹で造られた「結界」がある。これは「これ以上先へはご遠慮ください」という意味である。他には縄で括られた球体の石で表されることもあり、こちらは「止め石」や「関守石」と呼ばれる。
庭園を眺めれる居間は1階には2部屋ある。
額縁庭園の撮影を再び愉しむ。このような写真は明暗が激しいためISOを低くして撮影して、Adobe LightRoomでRAW現像を行い調整を行う必要がある。
それほど広くない庭園だが、居心地がよく90分ほどゆっくりさせて頂いた。最後に二階建ての母家を撮影して無鄰菴を後にする。
無鄰菴の案内図(パンフレットより引用) [ 案内図を拡大する ]
○ | ありのままの自然を庭に再現させるという小川治兵衛(植治)の要素が詰まった庭園である。現在では借景となる東山も作庭当初の姿を取り戻しているのも素晴らしい。 |
× | 特に見あたらない。 |