臨済宗相国寺派の大本山。室町幕府の3代将軍の足利義満(よしみつ)により創建。日本初の作庭家ともいわれる夢窓疎石(むそう そせき/夢想国師とも呼ぶ)による開山で、京都五山の第二位となる名刹。水墨家にして作庭家である雪舟も相国寺出身である。開山:初代住職
日本初の作庭家ともいわれる夢窓疎石(むそう そうせき)が開山した相国寺は、臨済宗・相国寺派の大本山であり、塔頭寺院には金閣寺や銀閣寺などがある京都五山の第2位となる名刹である。庭園は方丈前庭(表方丈庭園)、方丈後庭(裏方丈庭園)、開山堂庭園(龍渕水の庭)と大きく3つの枯山水で構成され、写真は方丈前庭である。
方丈前庭(表方丈庭園)は相国寺が焼失したのちに1807年(江戸後期)に復興されたときに造られたと言われ、白砂だけの簡素な庭園で禅刹(ぜんさつ)らしい。また、外の光りを白砂に反射させて方丈を明るくする役割もあり、機能性をもったデザインといえよう。
方丈後庭である「裏方丈庭園」へ。こちらも江戸後期に造られたといわれる。3つの庭園で一番見応えを感じた。細長い庭園を大きく掘り枯流れを設け、奥には築山を作り、人が訪れないような奥深い自然の地を表す深山幽谷(しんざんゆうこく)を表現している。
庭園西部には枯滝石組があり、立石で滝を見立てた滝石である。同様に意匠は曼殊院庭園(京都市左京区)にもみられる。その滝からの水の流れを栗石で表現。
滝の上流から下流へ向かっての流れを具象的に表現している。写真右上あたりにも力強い立石を据えている。
裏方丈庭園の中央部を望む。全体的に丸みを帯びた柔らかな石で、江戸後期らしさを感じ取れる。
裏方丈庭園の東部には切石橋が架けられている。
渓流のようにも見立てられた流れの底には栗石を敷き、その下には砂を敷くことで、雨水の排水を兼ねた構造になっている。2018年には京大の名誉教授らにより定点観測を行い、「日本の年間平均降水量1600ミリの約半分に当たる計850ミリの雨が降っても庭園から水があふれない可能性があることも分かった。」とのこと。出典:毎日新聞
方丈東側にある白砂敷きの坪庭。
夢窓疎石の木像が安置されている開山塔。その南庭「開山塔庭園」は「龍渕水の庭(りゅうえんすいのにわ)」と呼ばれる。作庭時期はこちらも江戸後期とされる。
「龍渕水の庭」の南西部。竜安寺のような石庭を楽しめる
「龍渕水の庭」という名前から想像できるかもしれないが、かつては旧今出川の一部として水路を引き込み、小川が流れていたとのこと。ただ昭和10年頃に水源が途絶え、涸れ流れとなる。(枯れる:元から水が流れていない。涸れる:かつては水が流れていた。と日本庭園では区別することがある。例:枯山水/涸れ山水、枯滝/涸れ滝)
かつては、白砂敷きの奥に小川が流れていたということになる。
開山塔庭園(龍渕水の庭)は、春・秋の特別拝観のうち秋のみの公開となるためご注意下さい。方丈庭園は春・秋の特別拝観で見学できるため、相国寺は秋の特別拝観に参加するのが良いだろう。
○ | 庭園の巨匠・夢窓疎石と雪舟ゆかりの名刹。意匠の異なる江戸後期の庭園を3つ同時に楽しめる。 |
× | 特に見あたらない。 |