江戸時代に京都の淀藩の飛地にて大庄屋(おおじょうや)を努めた諏訪家。江戸後期に建築された主屋や書院は日本遺産にも登録。敷地内には池泉庭園と、徳川家康に仕えた大名であり茶人としても知られる庭園デザイナー・小堀遠州によって作庭されたと言われる枯山水がある。大庄屋:村役人
徳川家康に仕えた大名でもあり茶人としても知られる庭園デザイナー・小堀遠州によって作庭されたと伝わる枯山水のある諏訪家屋敷。奥座敷からの観賞式であり、中央には枯滝石組があり、頂部に遠山石を据えて遠山を抽象的に表現している。遠山石からは滝水が落ちる水落石へと繋がる。
枯滝石組を横から撮影。
枯滝石組の右側に据えられた巨石には、ハート型の穴が開いている。なぜ、このような石を選んだのだろうか。
中座敷からは池泉回遊式庭園を観賞できる。 昭和30年頃までは水は張られていたが、川の氾濫被害があり現在は水門が閉じられ枯池となっている。ただ当主が寂しいと思い池泉に、葉が白く変化する半夏生(はんげしょう)を植樹したとのこと。
池泉はかつては船を曳き入れることができたのこと。そして、この枯池が・・・・
6月下旬から7月上旬に半夏生の群生が見頃を迎え、このような姿を魅せる。(写真は有料のパンフレットより引用)
このようなところも、、
半夏生で覆われる。半夏生のシーズンには、ここが池泉であることが言われないと気づかないだろう。(写真は有料のパンフレットより引用)
半夏生は枯れると根元から刈られ石がよく観察でき、枯滝石組らしき意匠も確認できる。
明治天皇ゆかりの茶室は、明治になって大津円満院から移設されたもので江戸前期のものとされる。
玄関座敷から雪見障子越しに枯山水を撮影。
玄関前にある枯山水も、元は江戸時代に作庭されたものである。なんと、こちらの枯池には雨水が集まるようになっており、梅雨時期には枯池に水が溜まり池泉庭園となるようになっている。
切石の石橋奥に枯滝石組を見つける。近づいて撮影すると、、、
このような意匠になっている。小振りながらもきちんと造られている。
○ | 枯池となった池泉庭園に半夏生を植樹することで、白い池が生まれる仕掛けが面白い。また玄関前の池泉庭園に変わる仕掛けも面白い。半夏生のシーズンは梅雨時期でもあるので、梅雨の雨天時に訪れてみたい。 |
× | 特に見当たらない。 |