等覚寺は江戸初期(1618)に創建した臨済宗妙心寺派の寺院である。書院裏には創建当時の庭園が残されており、昭和45年には市指定名勝に登録されている。常時公開ではないため、事前に電話連絡が望ましい。
事前に電話連絡で訪問した等覚寺。宇和島には市指定名勝の寺院庭園が3つあるが、本庭園のみ常時公開ではないため事前予約が望ましい。
かつては池泉庭園だったと思われるが現在では枯池となっている。左右に雄滝と雌滝と呼ばれる枯滝石組を造っているので、それぞれをみていこう。
まずは雄滝。頂部には山形の石と立石で三尊石風に組まれている。
頂部を撮影。右側の立石は陰陽石で男性器に見立てた陽石となっているこから「雄滝」と呼ばれる。そして滝石組に橋を架ける「玉澗流」の滝石組となっている。玉澗流とは、滝上部に石橋を渡す手法であり、安土桃山時代に作庭家・上田宗箇(うえだ そうこ)によって生み出され、宋の有名な水画家・玉澗の山水画がモチーフとなっている。
雄滝は出島風の地割りになっており、自然石の石橋を架けている。石橋の先には天を突くような橋添石が印象的だ。
石橋は薄くて華奢な吸い込まれるような美しい造形だ。石橋も橋添石もここからが最も美しくみえるポイントだ。
続いて左手の雌滝。蘇鉄に囲まれた滝石組というのも珍しいが、やや煩雑で滝石組が沈んだようにみえる。
こちらも滝に石橋を架けている。その奥にはある丸みを帯びた石を近づいてみると、、、
臼状の陰石であり、女性器に見立てている。陰陽石とは子孫繁栄を祈願した石組であり、役所の公式サイトには「上面が凹み常に水をたたえて潤いと恥じらいを見せている。また、前後の石も丸身の石を低く組んで柔らかさと温かさを演じている。」と表現されている。ちなみに陰陽石は大名庭園や武家屋敷庭園で見られるが、寺院では極めて珍しいものだ。古庭園では他には大分県杵築市の妙経寺庭園ぐらいだろうか。
蹲踞(つくばい)もあるが手水鉢の上面を石で塞いでいる。
この扉を開けていただくと庭園に入ることができる。そのため、この門が閉まって入る場合は、お寺の方に見学可能か現地で伺ってみよう。
○ | 玉澗流の枯滝石組、陰陽石など古庭園の要素が詰まっていて、コンパクトな割に見応え十分な庭園だ。 |
× | 特に見当たらない。 |