揚輝荘 北園
ようきそう きたえん
松坂屋の昭代社長である伊藤次郎左衛門祐民(すけたみ)が、昭和初期に完成させた別荘が揚輝荘。土地の一部を名古屋市に寄付したことで北園と別荘のある南園で分かれており、本記事では北園について紹介。
揚輝荘の庭園は修学院離宮を参考にしている。特に北園のシンボルとなる白雲橋は、修学院離宮の千歳橋を模しており大正7年(1918)に建築されたものだ。なお、白雲橋は通行はできず、企画イベント時に事前申し込みした方のみ通行できる。このイベントは年数回しか実施されていないとのこと。
白雲橋を渡ってみる。屋根には伊藤次郎左衛門祐民による龍の天井絵が残されている。
中の島を撮影。
中島の護岸石組は丸みのある単調なものであるが、1ヶ所だけ出っ張っており、亀頭石や亀尾石のようにも見える。
中島に面したところに、 揚輝荘最初の建物である三賞亭(さんしょうてい)がある。
三賞亭は大正7年に本家から移築されたものであり、雪・月・花の3つを賞美するという意味から三賞亭と名付けられたと言われている。
瓦を積み重ねて造られた重厚感のある門。
揚輝荘 北園 案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 修学院離宮の千歳橋を模した白雲橋が美しい。 |
× | 特に見当たらない。 |