福井藩主 越前松平家の別邸で、江戸時代には「御泉水屋敷(おせんすいやしき)」と呼ばれる。1699年に数寄屋造りの屋敷と、千宗旦(せんのそうたん)の弟子である茶人・山田宗徧(そうへん)によって回遊式林泉庭園を作庭。そして明治時代に大名・松平春嶽(しゅんがく)により「養浩館庭園」と名づけられる。福井空襲により昭和20年に建物は焼失したもの石組や築山は被害がなく、昭和57年(1982)に国指定名勝庭園を受け、8年の修復を経て平成5年(1993)に一般公開された。
北陸に現存する大名庭園は兼六園と養浩館の2ヶ所だけである。兼六園と比較して圧倒的にのんびりした庭園であり、松平家の別邸として造られた数寄屋造りの養浩館から、ゆっくりとお庭を楽しめる。
養浩館のある敷地は出島になっており、遣水から巨石の石橋を潜り、やがて池泉へ流れゆく様子が養浩館で最も美しい景だと思う。
巨石の石橋は低く架けられ、これほどの巨大で豪壮な自然石による石橋は、ほかには旧徳島城表御殿庭園(千秋閣庭園)ぐらいしか思いつかない。
東尋坊で知られる越前海岸の柱状摂理(はしらじょうせつり)の岩による石組の先に、養浩館が池の浮かぶように立っている。柱状摂理を用いた石組は、他では宮崎県日向市の妙国寺でみられる。
湯殿付近から望遠レンズ(35mm換算で200mm)で、小亭「清廉(せいれん)」を撮影。清廉左側には枯滝石組が造られ、深山幽谷(しんざんゆうこく)を表現している。深山幽谷:人が訪れないような奥深い自然の地
ケヤキで造られた「清廉(せいれん)」は、景観の要所となっているが立ち入りはできない。
清廉(せいれん)の室内。杉の薄板を重ね張りした柿葺(こけらぶき)の屋根。余談:杮(こけら)と柿(かき)は似て非なる漢字。フォントをHGS教科書体にすると右辺が少し違うんです...
砂利浜から景石越しに芝生築山を眺める。真夏ということもあり、芝が伸びており締まりがない。
2017年11月に初めて訪問したときの写真。整備直後だったのだろうか、このように美しい築山を描いている。
櫛形ノ御間から二方向の額縁庭園。養浩館は大名庭園で、最も額縁庭園が写真映えする庭園だ。
御座ノ間から飛石で石橋へと繋がる。飛石も様々な種類の石を用いて変化を付けているのが面白い。
遣水から洲浜を経由して池泉へと流れる景も見逃せない美しいポイントである。
2017年11月に初回訪問、2021年7月に2度目の訪問。やはり養浩館からながめる景色が印象的で、古庭園好きだけでなく、庭園にそれほど興味のない観光客でも満足できる庭園といえるだろう。
○ | 数寄屋造りの屋敷から眺める池泉庭園が最大の魅力。福井市中心部にありながら、屋敷からの眺めに近代建物が入らないのも嬉しい。 |
× | 陰陽石付近の草により石組が隠れてしまっている。 |