養翠園は、紀州徳川家により江戸末期(1826)に8年の歳月を掛けて作庭された大名庭園。中国の景勝地を縮景しており、平成元年(1989)に国指定名勝を受ける。
養翠園は、海水を取り入れた汐入りの池による池泉回遊式庭園であり、同様の形式は大規模な庭園では浜離宮恩賜庭園(東京)のみである。
入江から続く三ツ橋。
蘇州の西湖に造られた堤は直線であるが、養翠園はクランク状に折れ曲がっている。これは池泉を取り囲む護岸壁の直線と、借景となる章魚頭姿山(高津子山/たこずしやま)の曲線との対比を考えて折れ曲がった形状にしているとのこと。なるほど、池泉が広大でシンプルな庭園であるがゆえ単調になりがちなところに、このような工夫をしているのか。奥が深いですね。
中島には守護神を祀ってある。
中島に架かる太鼓橋。
堤には石橋が架けられている。石橋はもとより護岸石組まで紀州の特産でもある青石で構成。なんとも贅沢な造りであり、養翠園の見所でもあると思う。
このように護岸石組は青石で統一されていることが分かる。
金柑畑跡には、背の低い刈込み松が植樹されている。
護岸石組は一定の高さで統一されているが、狐山と呼ばれる築山の麓には、青石による意欲的な石組がみられる。ただし、こちらの写真はは対岸から300mmの望遠レンズで撮影したものであり、肉眼ではその迫力を感じられにくい。後述するが、この狐山は不老不死の仙人が住む蓬莱山を見立てていると思われる。
養翠亭前では、夜泊石(よどまりいし)が確認できる。夜泊石とは、蓬莱へ向かう集団船(宝舟ともいう)が、夜のうちに船溜まりに停泊している姿を抽象的に表現したものといわれる。代表的なものが宗隣寺 龍心庭(山口県宇部市)で見られる。
夜泊石とは、このように2列に石が並んでいることが多い。この集団船は、おそらく前述した狐山に向かっているものだと考えられ、そのため、狐山は蓬莱山を見立てていると私は推測してみた。このような推測も、日本庭園の魅力のひとつだろう。
数寄屋造りの養翠亭。養翠亭の内部見学はできないが、茶室など数十室があり、平成6年(1994)に解体改修されている。また、池泉の先には借景となる章魚頭姿山(高津子山/たこずしやま)が控え、三方向を山に囲まれた「三山一湖」をイメージしている。
養翠園の案内図(パンフレットより引用) [ 案内図を拡大する ]
○ | 庭園東部は蘇州西湖をイメージした直線主体のシンプルな庭園、東部は夜泊石、蓬莱山(狐山)、そして曲線の護岸と日本的なイメージな庭園となっており、日本庭園と中国庭園が融合している。 |
× | 庭園の大半を池泉を締めるため、本記事に記載の知識をつけてから訪問しないと、散漫な庭園にも見えてしまう。 |