戦国大名の朝倉氏が5代にわたって約100年間も越前の国を統治した城下町跡「一乗谷朝倉氏遺跡」。遺跡全体が特別史跡に指定されており、敷地内にある4つの庭園(義景館跡庭園/朝倉館跡庭園、湯殿跡庭園、諏訪館跡庭園、南陽寺跡庭園)が1991年に特別名勝に指定。武家の庭園はことごとく失われ、発掘庭園であるが大変貴重なものである。本記事で紹介する湯殿跡庭園は、朝倉氏の浴場前に室町末期(1566-1568)に作庭されたものである。
湯殿とは名の通り「浴場」のことであるが、ガイドさんによると「湯殿という地名は江戸時代末期に書かれた、一乗谷古絵図というものに初めて登場する地名であり、当時はお風呂ではなかったとされている。最近の発掘では観音山から祠(ほこら)と見られる痕跡が出土しており、祈りの場のような宗教的施設ではないかという話もあります。」とのこと。そのようなこともあってだろうか、後述するが鶴島、亀島、蓬莱山のある長寿を願う鶴亀蓬莱庭園になっている。
庭園ガイドを立ち上げる前に訪問した2017年には、「雑然と石が並んでいるものの力強さを感じる」という感想であったが、2021年に再訪して、各種文献と照らしあわせながら観察していく。まず、現在は枯山水になっているがかつては池泉庭園であったのこと。
まずは池泉東部から。こちらには日本庭園の基本要素が2つ隠されている。次の写真で解説していく。
まずは巨石で組まれた中島。この中島は「日本庭園史大系(著:重森三玲)」、「図解 日本の庭(著:斎藤 忠一)」では鶴島とされ、両側の巨石は羽石としている。一方、「日本の10大要素(著:重森千靑)」では亀島としている。後述するが、近くに亀島があることより、私は鶴島と推測したい。以降、中島を鶴島と表現していく。
別角度から撮影すると、中島の西側に亀島がある。亀島の右側にある立石が亀頭石であり、鶴・亀が同じ方向に向かっているのがわかるだろうか。
池泉東部を図解。先ほどの鶴島(中島)、亀島は蓬莱山(蓬莱石)に向かっている。「図解 日本の庭(著:斎藤 忠一)」によると鶴亀は客を乗せて、不老不死の妙薬があるとされる蓬莱山へ誘うと説明している。枯滝石組、三尊石、蓬莱石はクローズアップした写真をこのあとに掲載している。
まずは亀島。かなり荒廃しており文献がないとさすがに気づかないレベルだ。石を立てるために小さな石で固定されており、水が張っている状態であれば自然なより具象的な亀島にみえるのだろう。
鶴島の羽石に挟まれた奥に枯滝石組が見えるように工夫されている。やや左右対称に近いような滝添石になっている。
続いて三尊石。中尊石と脇侍石(きょうじせき)でこれほど高さが違うのも珍しい。
蓬莱山とされる蓬莱石。
池泉西部を撮影。入り組んだ出島により複雑な汀線を生み出している。
池泉西部の石組と借景の組み合わせが美しい。
鶴島の一部、亀島、蓬莱石を撮影。水が張った状態でみてみたいものだ。
湯殿跡庭園の案内図
○ | 一乗谷朝倉氏庭園のなかで、もっとも力強く豪壮な鶴亀蓬莱式の池泉観賞式庭園。解説がないと石それぞれの意味が分かりにくいので、本サイトなどを参考にしながら石組を観察していって欲しい。 |
× | 特に見当たらない。 |